ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今回はサクッと終わりたい。
アマプラ見放題に入っていたので鑑賞。
内容はネバダ州の架空の町繰り広げる群像劇。と思いきや、それが劇中劇で架空も実在も何だか大変な流れ。
結論 、相も変らずのウェス節。
考察衆がすでにやり尽くしているが、良き家族、ドライブイン、原爆実験、科学主義、演技論、宇宙人、等々のアメリカフィフティーン(50年代)を1時間44分という中でコラージュしているのがコノ作品。すでに完成されたスタイル。
ただ、これで何をやりたかったのか?あの時代に対する敬意なのかソレとも批判なのかが映画ファンでも批評家でも分かれているが、『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』でも書いたとおり自分の考えは「両方」。
50年代に対する回顧と批判をワンパッケージ。
これが、ウェス節でコレがコノ作品。
ただ、今回は技巧による暴れっぷりが大人しめで、スラップスティックが弱め。ボケっと観ているだけなら良いけどな。
宇宙人さんの件が今回のスラップスティック。
その刺激の少なさがコノ作品の評価に影響しているのかも?
丸くなったのか、年なのか、未消化なのかが良く判らん!
という雰囲気なのだが、ウェスはまだ55歳なので、枯れるのはまだ早いし、自分としてはそうは思ってはいない。何故ならココで一つ面白い事をやっていているからだ。
陰影の薄い砂漠の表現がソレ。
通常、強い日差しが照りつける砂漠の画は光と影の陰影がクッキリと分かれるがウェスはそうゆう画は作らない撮らない、あくまでも自身の美意識に寄せてくるクルクル。
なので、コノ作品における映像は彼の作品でいっそう作り物感が目立つ事になっている。箱庭感というべきか。
どちらせよ感性と知的な胆力はまだ衰えていないようだウェスは。
VODで鑑賞。