えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

映画閑話:『シン・ゴジラ』公開便乗。「田中角栄と怪獣映画」

ここでは題名を恣意的に表記します。[誤記修正有][敬称略]

7月には『シン・ゴジラ』が公開されます。

f:id:ko_iti301083:20180613145222j:plain



そこでまことに勝手ながら当ブログも『シン・ゴジラ』便乗して公開まで怪獣映画について書きたいと思います。

お題は「政治家と怪獣映画」

第一次怪獣ブーム - Wikipedia 

とはいっても特撮ファンなら基礎教養並みのエピソードなので、ここでは最近の田中角栄本のブームに乗っかった方向で書きたいと思います。

 

 田中角栄 - Wikipedia 


田中角栄はコンピューター付きブルトーザーと評されとおりその影響力は多岐にわたり衰退といわれながらもまだ力をもっていた映画会社も彼に映画産業の復興を働きかけていた。その具体的な行動が「日本映画の海外への輸出」であり、その主力がゴジラガメラで実績もあった怪獣映画。

仕組みとしては映画会社が協力して社団法人・映画輸出振興協会を設立して興長銀 ーー 日本興業銀行 -- から融資をうけて海外向けの映画を制作する。それに関わったとされているのが質問当時は総理大臣で、関わった時は自民党幹事長であった田中角栄ではなかったのかと?という内容だ。

国会会議録検索システム

国会会議録検索システムで検索すると衆議院予算委員会 1973年(昭和48年)02月10日-10号-の01から89にかけて「特定の映画会社に便宜を図ったのではないのか?」と質問されている。質問しているのは日本共産党(当時)寺前巌衆議委員。特定の映画会社というのは大映で当時の社長は永田雅一だ。

寺前巌 - Wikipedia 
永田雅一 - Wikipedia 

 

そこからNO36を引用すると、

 

○寺前委員 それでけっこうです。私はこの質問については、本人が調べてみないと答弁できないとおっしゃるんだから、引き続いて聞きたいことがあるので、これは留保をしておきます。
 それで次に移りたいと思いますが、私が先ほどから言っている問題は、何としても政治と財界との結びつきというのが、ここにいろいろな問題が起こるから、どうしたってそこは明瞭にしなければいかぬ。だから政治資金も、国民の目から見ても明らかにするようにしておかなければだめだ、こういう問題として、具体的な事実で話をしないことにはこれは明確にならないから、何度もこのことをやかましく言っているわけであります。
 そこで、大体三十七、八年ごろからずっと映画産業全体の斜陽化の中で、この大映という映画会社がずっと累積赤字を年々つくっていく、こういう過程にあるこの会社が、これだけのいわゆる政治献金をするというのは、それなりの私はねらいがあるだろうと思うのです。ねらいなしにこういうべらぼうなお金は出さないだろう。これは一般の人が当然考えるところの常識だと思うのです。見返りがあることを期待をする、これは私は常識だと思うのです。そこで、黒い霧という問題がいつでも問題になります。
 私はここで話をちょっと発展させます。話を変えますけれども、昭和四十年の九月二十二日に、大映の社長でありました永田雅一さんというんですか、永田雅一さんが、邦画関係の五社長とともに、昭和四十年九月二十二日というその当時は、田中総理は自民党の幹事長でした。自民党の幹事長であったあなたが——時事通信社が出している「映画年鑑」という本を調べてみたら、一九六七年版にこういうことが書いてある。ちょっとそこの項を読んでみましょう。「映画輸出伸長のための政府による金融措置は、多年にわたる業界の要望事項であったが、六五年」四十年のことですね。「下期になって、永田映連会長以下邦画各社長と自民党首脳部との間で急速に話が進み、六六会計年度から実現の運びとなった。」四十一会計年度から実現の運びとなった。「すなわち六五年」四十年のことです。「九月二十二日邦画五社長は自民党三役(前尾総務会長、田中幹事長、赤城政調会長)を招き、年間三十億円の融資方について要望した。これは永田映連会長が自民党筋に従来から働きかけておいたのが奏功して、党側から映画界に意向を打診してきたのがきっかけとなったものである。」あなたたちのほうから映画界に意向を打診してきた。「五社長の要望は、映連会長名でまとめられた陳情書に輸出映画製作についての融資方お願いの件に尽くされている。」ということで、輸出映画製作についての融資方のお願いの内容がそこに書かれております。「以上の要望を受けた自民党側は、十月五日、有志によって、映画産業振興に関する懇談会を開催、同席上に邦画五社長が出席して促進方を要請した結果、自民党政調会商工部会内に映画産業振興小委員会を設置することを決定した。同委員会は十月十四日、二十九日と会合を重ね、十一月二十九日の第三回会合で、金融措置に関する次の四案を作成した。」ずっと四案が出ております。そして「自民党政調会は右の方針のもとに六六年度」昭和四十一年ですね。「政府予算への折衝を行なったが、政府は六六年度予算編成にあたっては、新たな項、公団、特殊法人などの設立は認めないとの基本方針を貫いたため、特殊法人設立案は結局断念せざるを得ず、折衝過程において、第二案がかわって採用されることになった。」そしてその第二案の概要というのは、「資金運用部は輸出用映画の製作資金として、六六年度に総額二十ないし三十億円の興長銀債を引き受ける。各映画会社は協力して社団法人日本映画輸出振興協会を設立する。
 興長銀は各映画会社の連帯保証のもとに日本映画輸出振興協会に対し前記金額を融資し、同協会は映画製作会社に対し適正な方法による審査を経た輸出用映画の製作資金を融資する」というもの、こういうふうにして日本映画輸出振興協会というのをつくっていくことになりました。五社全部の同意で連帯保証のもとにこれがやられるということにはならなかったけれども、借り受けた会社の有限責任ということで解決して、昭和四十一年の三月二十八日、自民党政調会承認の輸出映画振興金融措置要綱にまとめられた四項目の線に沿って細目を決定していくことになった。そうして四十一年の四月十五日に日本映画輸出振興協会の創立総会を開き、理事長、設立代表者の選任などをやって、十六日、東京通産局あて社団法人認可の申請書を提出した。そうしてこの輸出振興会社というのができている。こういう経過が「映画年鑑」の中に示されております。
 当時の幹事長であった田中さんが九月二十二日に、三役の皆さんとそろってお会いになってこの話の相談をして、輸出振興協会へのこのずっと過程についてはよく御存じのはずです、ここに書かれておるんだから。よく御存じだと思いますので、私は次に、この問題をめぐっての話に変わりたいと思うのですが、総理、この経過についてよく御存じですね。

 

寺前に対して田中は輸出映画に対してそのような措置を取ったことを認める。そして寺前は質問を続ける。それをNO38から引用すると

 

○寺前委員 いま言ったような経過を経て、昭和四十一年度からずっと四十六年度にかけて、この映画輸出振興協会が融資を財投のワクから一役を買っていく、通産大臣推薦のもとにこの融資方を世話していくという活動が始まっておったわけであります。
 ところが、この四十六年度までの融資をした経過を見ると、この昭和四十一年の四月から五月にかけて、これが設立をされて、そして最初に融資の願いが出てきたのが大映です。そして、この年に融資をしたのは全部で九本あります。十二億二千五百八十万円。ところが、そのうちの四本までが大映、六億六千九百万円、こういうことになっておる。大映、松竹、日活に限って、三社だけが借りている。これはずっと後まで、途中で石原プロというのが入ってきますが、全体を通じて七十三億三千四百万円、六十一本の映画がつくられておりますが、そのうち約半分近い三十四億五千八百万円というのが大映に対するところの融資ワクになっている。この日本輸出映画会社というのがこのときにできてきているのですね。映画産業の斜陽化、大映が累積赤字をしてくる、こういう中でこの協会ができて、そうしてここで融資の仕事を始める。通産大臣の推薦のもとに映画の製作に入っていく。その半分近くは大映に使われていくわけです。
 ここでつくられたところの映画というのがどういうものかというと、「大巨獣ガッパ」「大魔神逆襲」ですか、「ガメラ対ギャオス」「宇宙大怪獣」これはいわゆる怪獣ものというのが、初年度の場合でも九本のうち四本までがそういう怪獣もの。「わが闘争」「濡れた二人」「愛と鮮血の記録」これはきわどい、いわゆるセックスものというのでしょう。こういうものをつくって輸出をしていって、そして日本の映画が、これで日本の国情を外国によく知ってもらおうという役割りをした、通産大臣の御推薦だというのですから、これは通産大臣、ほんとうに御推薦になったのかどうか。私はきわものだと思うのですが、中にはいいのもあります。しかし、こういうものをよくも平気で推薦をしておったものだ。
 ところが、これでまた外貨をかせぐのだとこう言っていましたが、たとえば「宇宙大怪獣」を見たら、一億二千万円お金をかけてつくった外貨の収入は六万四千六百二十ドルというのですから、二千三百四万円。ちっとももうかっていない。「わが闘争」というヤックスものといわれる映画、九千七百六十万円をかけたけれども、入ってきたのは六千九百五十ドルというのですから、二百五十万円。ちっとも外貨にはならないし、日本映画の名誉においても、輸出してどこにこれが値打ちがあったんだろうか。そうすると結局どういうことになるのだろう。映画そのものの話ではなくして、国民が汗水たらして貯金をしているところのお金とか年金のお金、その財投のお金、こういうお金は、斜陽化していく産業、会社のために、融資のために、その手当てをしてやったということにしか考えられない。
 あなたも、たくさんの人に会うからよくは覚えていないとおっしゃるけれども、あなたも先ほど言った永田ラッパといわれるような人、この人と、三役の皆さんのほうからわざわざお会いになったと書かれている。ずいぶん御心配になったのだろうと思う。御心配になったこの映画のあり方がこれでは、あなた、情けないというふうに思いませんか。総理の見解を聞きたいと思います。

 

これに対して田中の返答をNO39から引用すると、

 

○田中内閣総理大臣 映画輸出振興のためにつくられたものであるということは、先ほど申し述べたとおりでございます。結果的に見て、それがあまり成功しなかったなということはあるかもしれません。私は、いまのあなたの発言で、そのような状態が起こっておるということをやっとわかったわけで、あなた自身も、いいのもある、しかしいいのは言わないんだ、悪いことだけ言うんだ、こういうような趣旨の御発言でございますから、いいのもあったんだと思いますよ。悪いのばかり、いまあなたが御指摘されたようなものばかり、幾らなんでもやってないと思うのです。これは、われわれ大臣のところまで上がってくる問題じゃありませんから、どういうような状態で一つずつ認証されたのか、貸し出しが行なわれたのかわかりませんが、しかし、映画というものが日本の状態を紹介したり、グランプリをとったりという歴史的な事実があったことは、これは事実でございます。そうしてこれからもなお、外国に対する日本の紹介が足らない、PRが不足だからもっとやらなければならぬというのは、いまでもあるのです。そうでしょう。ですからそういう意味で、これからだって映画会社でも使わなければならないとか、テレビ会社を使うとかいうととは、これは日本としてなさなければならないことであって、ただ過去において失敗をしたから、すべてがいかぬのだということはないと思うのです。
 それで、永田氏との関連だけをウエートを置いてつかれますが、他の五社もあったのでしょう。他の五社から政治献金などはないと思いますよ。そういう問題もやはり十分考えていただきたい。それは必ずしも全部が全部成功したとも考えておりません。
 ただ、テレビの急速な普及、このテレビの認可というのは、これは郵政大臣がやるものでありますから、政府の権限でやっておるわけです。だからそういう意味で、あの当時は補償問題もあったのですが、しかし、そういう問題を一々全部、橋がかかるからはしけに、いわゆる連絡船、船業務をやっている人にすべて補償するというわけにいかないんだというような歴史的な事情がずっとあって、そしてやはり輸出が必要であったし、日本紹介ということでやったのであって、非常に善意にいずるものであった。ただ、結果的に見て、そんなのを輸出しておったということを聞いて、いま、やはり新しい制度をつくったら、その運用の状態を政府もチェックしなければいかぬなという感じはすなおにしていますがね。そういう意味で、ひとつ理解をしてほしいと思うのです。

 



この一連の流れは早い話、寺前巌は外貨獲得の見込みが不透明なのに税金を使ってそれを立て直そうとした田中角栄に「大映を中心に映画会社から不正な金を受け取ったから便宜を図ったのではないのか?」の質問をしているのに対して田中角栄は「それはない」と答えて、この政策が結果として上手くはいかなかったと発言している。だけなのだが、これからわかるのは当時急速に普及していたテレビなど多様化し始めたレジャー産業に対して日本映画界が本質的に打つ手がなく急速に力を失ってゆく様を誰もが理解していたのを、かいま見る事ができる。

そして田中角栄は後の田中金脈問題で総理大臣を辞職してロッキード事件で逮捕、起訴されて目白の闇将軍として力を堅持してゆく。

結局は時代の仇花だったわけだが。でも税金で怪獣映画を作っていた事実には変わりない訳だし……

それにこれが無かったら大巨獣ガッパ』『ガメラ対ギャオス』『宇宙大怪獣ギララとかも無かったと考えると……


……特にいい締めも考えられないので終わります。





 

にほんブログ村 映画ブログ 映画備忘録へ
にほんブログ村

映画(全般) ブログランキングへ