ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆修正有]
大傑作! と自分が書かなくても出てくるレヴューは多くが絶賛モードのオンパレードなので全然問題はないが、それとは別に舞台設定から、そしてこの映画を持ち上げるあまり「反対に観ない」気分の人 --個人的には自分にもあるーー にも観てもらうにはどうしたらいいのか?それ位にこの映画は観る人を選ばず間口が開いからだ。そして自分にいるもったいないオバケが観てもらうように囁くのもあって、だから今回はそれを踏まえておススメを書いてみる。
注:ネタバレの部分は空白にしているので、反転して読んでください。
おそらくこの映画に見入れるのは40代がギリギリだろう。ディテールの細かさはその手の知識がない素人にも「らしき」ものを人々に感じさせて「何かに」触れて郷愁を揺り動かす。ひどく曖昧だが「時代の空気」を垣間見せてくれるのだ。
しかし、逆に30代以降だと、これらにピンとこないで「普通に面白い」くらいが良い評価ではないかと思う。もしかしたら「感動がない」。「オッサン達のノスタルジア」かもしれない。
しかし、戦争という舞台設定を外して日常のみで語ればこれは意外と普遍的な話でもある。なにしろ主人公は「自分の居場所」を探しているし、そのものではなくても一人暮らしならやりくりで色々とした事があるから。
そして親しい人が不慮の何かで突然に「いなくなった」あの「どこに感情をぶつけてよいのかが分からない感覚」も自分達、 --いや自分かーー にもあるから共感してしまう。今は知らなくてもだ。
ネタバレ始
そうゆう意味ではあの細かなディテールの積み上げは単に「時代の再現」ではなく、「この延長線の世界に自分達もいる感覚」を感じさせるためなのかもしれない。そう思わせる感じだ。そのために原作での白木リンのエピソードを「圧縮」したのかもしれない。それを入れてしまうと “視点がブレ” てしまい「その時代を生きた女性の物語」に収まってしまう可能性がある。だからエンドロールでおわびとして「もうひとつの物語」を映しているのだろう。
『この世界の片隅に』はよく観ていればあちらこちらで「戦争の批判」はしているが、反戦のメッセージはただ一ヶ所だけ終戦の時にみせる主人公のすずの態度だけだ。それは、今まで過ごしていた日常が「すべて無駄になった瞬間」であり「そう強制されたのに知っていたにも関わらずに誤魔化していたのを自覚してしまう瞬間」でもある。そんな描写で反戦メッセージをしたのは日本映画ではおそらくはじめてだろう。
主人公だけではなくここでは誰もが日常が日常でなくなる瞬間が描かれている。文字どおり日常が「消えた」のだ。
ネタバレ終
しかし、「消えた」日常を再び作り出そうとするのも、また日常でもある。何しろ人は「生きて」いくしかないのだから。あと戻りはできない。それを「したたかさ」で語ることはできるが、それは誰にもあるものだから。もちろん自分にもあるはずでもある。
結論:『この世界の片隅に』は映画の姿をした人生のワクチンである。今は分からなくてもいつかはあなたの人生に役にたつかもしれない。