ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
世界中が結束して環境をコントロールできる衛星の運営から3年が経った。ある日、突如として衛星が暴走して各国に異常気象が起こる。衛星の生みの親であるにも拘わらず今は不遇な生活をしている元科学者のジェイクは彼に引導を渡した国務省に勤める弟のマックスの依頼でその原因究明と暴走を止めるために衛星に向かうが、そこにあったのは意外な真実だった。
この映画に監督のディーン・デブリンの「らしさ」なものはある。
『愛すべきバカ映画」でもある『インデペンデンス・デイ』がアメリカ万歳なのに日本でも人気なのは登場人物の造形にある。「人気が落ち目の大統領」、「腕は立つが私生活に問題がある戦闘機乗り」、「優れた頭脳を持っているが今はケーブルテレビの保守業務に落ちぶれている技術者」、「若い頃に宇宙人に拉致されたのに信じてもらえず変人扱いされるパイロット」など、この作品の最大の魅力は「世間からは落伍者の烙印を押された者が世界の危機を救う」ドラマになっているからだ。「落伍者の再起」これはデブリン監督の「らしさ」でもある。『スターゲイト』のオニール大佐やジャクソン博士もそれだし『GODZILLA』のタトプロス博士やジャーナリストのティモンズもこの設定に近い。デブリンと別れたローランド・エメリッヒ監督作品にそんな傾向が見当たらないのだから、これらはデブリンの特徴だった訳だ。後、犬の辺りも……。
しかし、今作でも同じ手法をジェイクの設定で使ってはいるのだが、過去作よりも上手く行っていない。おそらく、『インデペンデス・デイ』などのソレは、かつてエメリッヒとデブリンの2人がガッツリと組めていたから生まれた奇跡的な輝きというべきモノで、デブリンやエメリッヒが単独で生み出せるモノでもないし、厄介なことに再びに組んだ『インデペンデンス・デイ: リサージェンス』でも -- 脚本に他の筆も雑じっているせいもあるのかもしれないが。-- あの輝きを取り戻せてはいないからだ。だから奇蹟なのだ。もうあの様な「愛すべきバカ映画」は二人からは生まれないのだろう。
この映画の 感想を言えば『エンド・オブ・ホワイトハウス』製作&主演のジェラルド・バトラーと『インデペンデンス・デイ』の製作&脚本のディーン・デブリン監督のコンビともなれば、「約束されたバカ映画」も当然な訳で、ドラマ云々、リアリティ云々で語るのは何かに負けた感がある。だから、最初からバカ映画を楽しむ、お祭り気分の心持ちで観たら、出てきたのはディザスターというよりもサスペンスを基にしたシリアスな兄弟愛とやっぱり筋肉。な出来上がりだったので、お祭り気分が拍子抜けはしたのも確か。似た感触なのはドゥエイン・ジョンソン主演『カリフォルニア・ダウン』があるのだが、『カリフォルニア』が「娘を助ける」という誰もが共感できる感情移入のフックがあったのに対して『ジオストーム』では兄弟とも未曾有の災害を「どう回避する?」のか、だけを描いているだけで、パニックやディザスターから「どう助かる」のかを描いていないので感情移入のフックが難しい。バトラーが演じているジェイクは「どうせ、助かるんだろう」の想像ができるし。映画というより予算が多めのテレビ映画。といった感じだ。
しかし、日本語予告を観直すと、ちゃんと謎解きの進行にはしているし、「パニック」とも「ディザスター」などの語句を使わず「ハリウッドが送るアクションエンターテイメント超大作」と謳っているのだから、文句も言えない。(苦笑)
個人的な感情の落としどころが、「どうせバカなんだから徹底的にバカっぽくしよう!」の『グレートウォール』や、どこをどう勘違いしたのか「海兵隊の素晴らしさを表現するために生真面目に撮る!」の結果としてこうなった『世界侵略: ロサンゼルス決戦』二作を代表する「愛すべきバカ映画」モデルのどちらの枠にも入れない中途半端な出来になってしまったのが、この『ジオストーム』だ。
映画『ジオストーム』日本語吹替版予告【HD】2018年1月19日(金)公開