ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
1986年アーケードゲーム「RAMPAGE」を基に映画化。野生動物保護区に勤める人嫌いのデイビスとゴリラのジョージは種を超えた絆があった。ところがある企業による宇宙での違法遺伝子操作実験が失敗しアメリカ大陸に飛散したサンプルのひとつにジョージが接触。通常では考えられなれないほど巨大化・凶暴化してゆく。別の場所ではオオカミとワニも同じ現象に陥っていた。三匹は軍の攻撃もびくともせず大都会を破壊し続けるが、はたしてデイビスはジョージを助けることができるのか?
観終わった後は『猿人ジョー・ヤング』またはリメイクの『マイティ・ジョー』の系譜かと思ったが、調べてみるとアーケードゲーム『RAMPAGE』を基にしているところから、どうやら同じくゲームの『ドンキーコング』を系譜にしてるらしい。『ドンキーコング』をどぎつくしたのが『RAMPAGE』ということか。
巨大化した「何か」なんて設定は実はアメリカではお馴染みなパターンで、それこそ、その手の語る上で必ず思い出す巨匠(?)バート・I・ゴードン監督『世界終末の序曲』のバッタ、『巨大生物の島』のネズミや『巨大蟻の帝国』のアリ。があるし、『ジャイアント・スパイダー/大襲来』クモなんてのもある。さがせばB級・C級、へたをするとZ級のモノまで存在する、ひとことでいえばありふれたジャンルだ。
だから、ただ派手なだけで目新しさはないはずだが、実はこれは怪獣(モンスター)映画ではない。アクション映画だ。理由は主演がドウェイン・ジョンソンだからだ。それくらい今回もスターとしては巨獣よりもジョンソンが目立っている。前作でもコンビを組んだ監督のブラッド・ペイトンは本来ならパニック・ディザスター映画の定石や手法で撮るべきなはずの『カリフォルニア・ダウン』をジョンソンを活躍させるためだけに強引にアクションとして描いたために「生き残れるのか?」のパニック・ディザスターとの齟齬がおきて作劇が無理が生じていた。
だから、本来ならこの映画にも作劇に無理が生じるはずだが、今回は傷が目立たない。-- 無い訳ではない、逆に多い。-- おそらく今回は巨獣となったジョージに「可愛げのあるキャラ付け」をしたからだと思う。そしてジョンソン演じるデイビスとコミュニケーションがとれることによって観客に感情移入ができるようになり、結果として二大巨獣と闘う流れ -- 対決前の「やったるぜ!」感はグッとくる。-- にもってゆけている。
さらに今回の悪役は、ステレオタイプを絵に描いたような頭のネジが緩んでいる奴らで、一応冠としてつけた「動物愛護かつ生命操作への警鐘のドラマ」なんてシリアスな視点を観客から放棄させるキャラになっているし、なにより謎の政府組織の職員であるラッセルのうさん臭さ漂う存在感が、緊張感をほぐしリアリティよりも爽快感へと感情を移行させもいる。すべてはジョンソンを活躍させるためだ。
だから日本の怪獣映画の後味に多い壮絶さよりも、爽快さを強調した『ランペイジ 巨獣大乱闘』は「面白い」よりも「楽しい」出来上がりになっている。次作への布石らしきものもあるのでシリーズ化すれば、さらに楽しくなってゆくのかも。