えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『かぐや姫の物語』の簡単な雑感

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

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www.ghibli.jp

日本最古の物語といわれる「竹取物語」を題材にしたアニメーション映画。山奥で竹を切って暮らす翁と媼がいた。ある日翁は光る竹の中に赤ん坊を見つけ育てることになる。捨丸などの地元の子から「タケノコ」と言われた女の子は美しく成長し翁は赤ん坊を見つけた竹から豪華な品々で娘に相応しい貴公子と添わせるために都へと移り住むが。


高畑監督の中心にあるモチーフは共同体だ。

ここでいう共同体とは数の大小は関係なく複数の人々の塊でそこでしか通用しない慣習(ルール)が成立している集団だ。高畑監督はデビュー作『太陽の王子_ホルスの大冒険』からそれをずっと使い続けてきた。一般とはちょっと外れた共同体の『じゃりン子チエ』、共同体から外れたばかりに死んでゆく兄妹の『火垂るの墓』、自分がいた共同体から別の共同体に入る女性の『おもひでぽろぽろ』、共同体そのもの損失の危機の『平成狸合戦ぽんぽこ』、力無き者は共同体を大切にするべきと説いた『ホーホケキョ となりの山田くん』などそこにはいつも共同体があった。

かぐや姫の物語』ではどう共同体を使ったか?自分の見立ては「ある共同体に憧れて飛び込んでみたにもかかわらず結局は馴染めずに去ってゆく女性の物語」だ。かぐや姫が憧れた美しさには世俗的な穢れが必要だからでもある。豪華な屋敷の庭に楽しんでしつらえた小さな村を発作的に壊したり、捨丸と共に空を飛ぶ幻想的なシーンもかぐや姫が憧れた情景と現実とのギャップ描いている。

高畑監督はテレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』も手がけている。このアニメの要点は「二つの異なる共同体をひとりの女の子が繋げる」ドラマだ。それができたのは主人公のハイジに類を見ない天真爛漫さ、今風な言い方だとチート能力が有ったからだが、このかぐや姫にはそんな能力はない。

そうゆう意味では、このアニメは「ハイジになれなかった女性」の物語なのだ。



かぐや姫の物語 予告


竹取物語(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)

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現代語訳 竹取物語 (河出文庫)

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