ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞や日本漫画家協会賞優秀賞を受賞した五十嵐大介原作の同名マンガをアニメ映画化。人付き合いが苦手な中学生の琉花(ルカ)は夏休みが始まったばかりに部活で問題を起こし活動を停止させられてしまう。家にも居場所がない彼女は別居中の父が働く水族館へと足を運び、そこで、ジュゴンに育てられ水が無いと生きられない不思議な少年・海と、その兄である空と出会う。
渡辺歩監督
原作を途中で読むのを止めてしまった人の感想だ。
地球はひとつの生命体である。
1990年代に社会を席捲したジェームズ・ラブロックが提唱したガイア理論は雑にまとめればこうなる。気候を主に「生物と環境に相互作用があり状態を維持する」、その考えは後に環境問題ばかりだけではなく日本のサブカルチャーにも多大な影響を与えた。先達として手塚治虫のマンガ『火の鳥』が存在していたし、なによりもその発想が題材としてクリエーターの想像力を掻き立てるものがありマンガ、アニメ、ゲームなどの多くの創作でガイア理論をヒントにしたらしき作品も登場している。
そして、この『海獣の子供』もあきらかにその系譜に位置している。
だから、一見難解でとっつきにくいと思われるこの映画に親和性を抱き「面白い!」と感じられるのは、その影響を何らかの形で、どこかで受けていたからでもあり、反対に「面白くない」と感じたのなら、それはその影響をどこからも受けていないにしか過ぎない。
そして、この映画はアニメにもかかわらずVFXの映画を観るような驚きに満ちている。何せマンガの原画をそのまま移し替えたかのような作画だからだ。アニメと3Dを使った2001年公開のりんたろう監督『メトロポリス』以来のその新しさが成立できたのはデジタルツールの発達とアナログ作画との融合で表現の幅が格段に広がったからでもあり、それをただ漫然と観ているだけでも楽しめる。
音楽も良い。宮崎駿監督作品で今や巨匠になった久石譲の楽曲がここではあまり主張せずに、しかしそれが、ボディブローのごとくジワジワと効いてからこそのあのクライマックスなのだから。
とは言っても不満がないわけでもない。海洋学者のジムは顔見せ程度にとどめておいて、へんに謎を大きくせずに、できうる限り琉花の視点 -- しかし、画が魅力的なのに独白は余計な付け足しなので、そこもすっぱりと切ってもらいたかった -- で進めていればより深い余韻を残せたのではないのかと思う。
これは物語を楽しむというよりも、ひとつの交響曲を鑑賞する作品なのだから。
なので、このドラマが何なのかを言うのは正直いって野暮なことだ。しかし、野暮は承知で自分の見立てだけは書いておきたい。
実はこのドラマ、クライマックスまで何を伝えたいのかまるで見当もつかずただポカーン( ゚д゚)としていただけだったのだが、ラスト直前にどうやらそれらしきヒントを与えてくれたので、それなりに把握はできた。
そのヒントらしきものは老婆デデが奏でていた楽器のことで、ムックリだ。
ムックリはアイヌ民族に伝わる竹製の楽器で口琴の一種だ。だから、その音色も独特だ。
そして口琴はそれ単独では楽器にはならない。口にくわえて奏でてこそ楽器になる。口琴にとって体も楽器の一部なのだ。
楽器がただの音ではなく音色になるためには共鳴が必要となる。ここでは弦を引くことで他の部分にも伝わり外の周囲に伝わる。それが共鳴であり音色だ。
映画を観た人なら何がいいたいのかは察したのだろうが、この映画のドラマは海を媒介にして生き物たちどおしの体から発せられた音色が他の生き物たちに共鳴する。それが、ここでのコミュニケーションの有りようであり言語でのソレは下として描かれている。だから、締めのあたりの台詞「命を絶つ感触がした」なんて台詞は共鳴が絶たれたからこその台詞だとしか考えられない。何故かは知らない。原作が映画が、そう信じているとしか思えない。ガイア理論での相互作用がここでは共鳴となっていると考えても良い。-- もちろん、そこから採りこぼれた人間へのフォローも琉花の両親や部活仲間を通して前向きに行くように描いてはいる。
つまり、これは宇宙(そら)からの音色に海が共鳴して応える。だけのドラマなのだ。
【6.7公開】 『海獣の子供』 特報1(『Children of the Sea』 Teaser trailer )