ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
ストーリー
2075年、人間を守るために開発されたはずのAIが、ロサンゼルスで核爆発を引き起こした。人類とAIの存亡をかけた戦争が激化する中、元特殊部隊のジョシュアは、人類を滅亡させる兵器を創り出した「クリエイター」の潜伏先を突き止め、暗殺に向かう。しかしそこにいたのは、超進化型AIの幼い少女アルフィーだった。ジョシュアはある理由から、暗殺対象であるはずのアルフィーを守り抜くことを決意するが……。
スタッフ
監督:ギャレス・エドワーズ
製作:ギャレス・エドワーズ キリ・ハート ジム・スペンサー アーノン・ミルチャン
製作総指揮:ヤリフ・ミルチャン マイケル・シェイファー ナタリー・レーマン ニック・メイヤー ゼブ・フォアマン
原案:ギャレス・エドワーズ
脚本:ギャレス・エドワーズ クリス・ワイツ
撮影:グレイグ・フレイザー
美術:ジェームズ・クレイン
衣装:ジェレミー・ハンナ
編集:ハンク・コーウィン ジョー・ウォーカー スコット・モリス
音楽:ハンス・ジマー
音楽監修:ゲイブ・ヒルファー2023年製作/133分/G/アメリカ
原題:The Creator映画.comより引用
今回はネタバレスレスレの羞恥心込み解説モード
注意:今回は核心に迫る内容には言及していませんが、純粋に楽しみたい方には読まない事をお薦めします。
うわわわぁぁ。
小恥ずかしい。
ガキの頃の妄想が映像化されている。
さてはギャレスの野郎、知らないところでオレの脳内をスキャンしやがったな。(色々とヤバい発言)
これが初観の率直な感想。
まぁ、ソレはソレとして、インテリだがオタクでもあるギャレスはオレと同世代なので呼応するところがあるのかもしれない。あの発想はSF映画ブームを受けたモノ同士の共通認識として感覚なのは確信はしている。
同じスターウォーズ世代だしね。
スターウォーズ世代とはSF映画だけではなくて、あの時代の作品群はあらかた鑑賞・体験している。という意味でもある。
だから『地獄の黙示録』(1979)も顔を出してくるのは当然とも言える。
その流れからならば、もちろん本作で如実に現れているオリエンタリズムは『ブレードランナー』(1982)が源流にあるのは誰もが直ぐに察することができる。
要は、あの手がアリならこの手だってアリだろ!な結びつき。
そしてサラに、その源流にあるのはジャポニズムなのも直ぐに分かる!同世代なら良く分かる。
だから、マンガの『銃夢』や『AKIRA』が顔をのぞかせるのは理にかなってはいるし、その他のジャパニーズサブカルチャーの影響がチラホラと見え隠れするのも予想はできたが……
まさか、スーパージャイアンツとアイアンシャープが出てくるとは予想外だったよ。
ギャレス、あんたガチやな。
でも、ここからオタクだけでなくBBCやディスカバリーチャンネルで仕事もしているインテリなギャレスがどうしてジャポニズムを基にしているのかといえば、単純なサブカルチャーへの憧れだけでなく、日常にAIことロボットを積極的に浸透させようとしている日本社会に対する眼差しがあるのは間違いがない。
かつて日本がジャパン・アズ・ナンバー1と言われていた頃、ひとつの光景として自動車工場では工員と共にロボットもラジオ体操をしていたのを映像として流していたのを覚えている者として、ギャレスが本作で提示しているのは、対立ではなく人間とAIの共存で成り立っているユートピアとしてのニューアジアでもある。
西洋的二元論ではなく、東洋的一元論を基にしている世界観。
これが本作。
もちろん、そこにAIの代わりに「国家」とか「民族」とか「宗教」とか「人種」を入れても意味は同じ。お好きななのをどうぞ。
ただ、その強い憧憬 -- そこに潜む危うさも含めて -- の部分も含めて本作に漂う、ある種の「青臭さ」を感じてしまうのは否めない。大作でない中規模作品とはいえ8,000万ドルをかけている本作が自主映画ぽく見てしまうのはそうゆうトコロだろう。AIは善として描かれて、逆に人間は悪として描かれているトコロも含めてだ。
だから小恥ずかしい。
しかし、その反面羨ましい。
さて、最後にジャパネスクにちょい関係する余談だが、AI(ロボット)と人間との共存している世界は、どうみたってマンガ家でありアニメ作家だった手塚治虫の『鉄腕アトム』を思い出してしまう。そしてソコに登場するアルフィーというキャラはやっぱり手塚治虫的な印象をどうしても持ってしまうのは手塚作品を知っていれば自然な流れだろう。
ギャレスが『アトム』を観たことがあるのかは分からないが、少なくとも手塚原作を基にアニメ映画化した、りんたろう監督『メトロポリス』(2001)は当然鑑賞していてもおかしくはない。だからティマというキャラも知っているはず。
それはモチロン、手塚が影響を受けたであろうフィリッツ・ラング監督『メトロポリス』(1929)のマリアへと繋がっているのだ。
今回はこんな感じで終了。
劇場で鑑賞。