ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
大宅壮一名義:編集(著者:半藤一利)の実録を原作にした映画化。太平洋戦争下の時代。戦局が次第に不利になってきた状況の日本は無条件降伏を求める米、英、中のポツダム宣言を天皇の決定によって受諾することになる。だが、それを不服とする反対派の陸軍青年将校がクーデターを計画して陸軍内での決起を即し、降伏を録音したレコード奪回の行動を起こす。
岡本喜八監督
日本の近代史の中でも転換点なった。1945年8月15日正午の玉音放送。そこにいたる1日の出来事を事実に沿って描いた群像劇がこの映画だ。
この映画は2016年に公開、ヒットした庵野秀明監督『シン・ゴジラ』にも大きな影響を与えたと云われている。事実、『シン・ゴジラ』で話題となった字幕フォントの説明で会話の連続で平坦になりがちな部分にある種のテンポを与えている。『シン・ゴジラ』と同じだ。
カメラショットはいわゆる「なめ」を多用している。ここでいう「なめ」とは、ある画をカットを割ったりカメラを動かすのではなく、人物越しに他の動きを見せる撮り方だ。それをしたのはもちろん、緊張感を持続、盛り上げるためでもあるが、この映画は特定の主人公がいない群像劇のつくりであり、その当時の全ての人々が主人公でもあることを示してもいるからだろう。
この映画は公開当時ヒットした。そうなったのは、脚本の橋本忍、監督の岡本喜八のスタッフ等、出演者にも戦中者でもあり、さらにはこれを当時に観た観客も戦中・戦後直後を生きた人々なので「あの時に何があった」のかを臨場感と一体感で感じらたからだろう。戦後世代の自分には計り知れないが。
「戦争を終わらせるのは難しい。ましてや敗北となると」これが、この映画の全てだ。戦争がある種の熱情だとしたら、続けるのが愚かでも、それに疲れたとしても、負けた理由にどのような合理性をもっていても、それを認めて消すのは難しい。それは日本だけではなく、どこの国でも起こっている出来事なのだ。それを説得力ならぬ「納得力」で描かれているのが、この映画だ。