えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

【ネタバレ有】愛し合い 音楽に引き裂かれる二人『COLD WAR あの歌、2つの心』

お題「最近見た映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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www.imdb.com

 

冷戦下の時代。ポーランドの音楽舞踏学校で出会ったピアニストのヴィクトルと歌手志望のズーラは愛し合うようになるが、ヴィクトルは政府に監視されるようになり、パリへと亡命する。月日は流れ、現代音楽で生計を立てているヴィクトルと歌手になったズーラは、公演活動で訪れたパリやユーゴスラビアでヴィクトルと再会して逢瀬を重ねるが、ズーラは突然ポーランドに帰ったことでヴィクトルは信じられない決断をする。

パヴェウ・パヴリコフスキ監督

 

個人的な告白からはじめるとパヴェウ・パヴリコフスキ監督の前作『イーダ』を観たことは無い。というかパヴリコフスキ監督作品はこれがはじめてなので、今回はIMDbを頼りにして当てずっぽうなのだ。

 

実は、このメロドラマの中身は今現在映画トレンドの上位にある『天気の子』と同じだ。男と女が恋に落ち、男が強引に物事を進めて、男が勝手に終わらせる流れがほぼ同じなのだ。違うのは『天気』の主人公が十代なら『COLD…』だといい大人がソレをやっているかの違いしかない。後、音楽も『天気』がRADWIMPS  なら『COLD…』は、その時代の歌曲・楽曲を使っているだけだ。

 

人によっては成瀬巳喜男監督の『浮雲』を思いだすかもしれない。ただし、ひたすら森雅之にしがみつくのは女の高峰秀子ではなく男のヴィクトルなので立場が逆転している。

 

また別の人はデイミアン・チャゼル監督の『ラ・ラ・ランド』を引き合いにするだろう。ただ、『ラ・ラ・ランド』のライアン・ゴズリングエマ・ストーンは別れても音楽の世界で繋がっているが、『COLD…』だと愛し合っているズーラとヴィクトルを引き離しているのは他ならぬ音楽なのだ。つまり『ラ・ラ・ランド』の逆なのだ。

 

 

ヴィクトルは新しい音楽を自由にやりたかったので西側に亡命したのに対して、ズーラにとって音楽とは、自らの感情をストレートにぶつけるモノだ。ロックロールやマンボを情熱的に踊ったり歌ったり、シャンソン歌詞の回りくどい比喩に毒づいているところからもソレは見えてくる。

 

つまりは同じ音楽でも二人の感覚は大きな隔たりがあるのだ。映画ファンに例えるならゴダールファンとワイスピファンくらいの差があるといってもよい。どうしてそこまで云えるのか?なのだが、映画そのものがそう宣言しているからだ。冒頭、民族音楽無伴奏で唄う人と楽器を使いながら唄うシーンがソレになる。これは元々感性が違うのに、そんな男と女が愛し合う中になってしまった悲喜劇のドラマなのだ。

 

だから、そんな二人が本当に結ばれるためには、ひとつの世界に行くしかないのだ。「神の世界」にだ。

 

しかし、パヴリコフスキ監督はそんな2人に冷徹さよりも優しいまなざしを向けている。二人が去った後にサラリとひと風をふかしているのだから。

 

何よりも、最後に出る「両親に捧げる」の文字が、雄弁にそれを物語っている。

 

思うにパヴリコフスキ監督は、そこに「純粋さ」を見出している。二人の純粋さが時代という荒波に翻弄される様を描いているとも云える。もちろん世界中で仕事をした監督自身のキャリアにも関連しているし、別の視点からポーランドの現代史を見ることもできるだろう。どちらにせよ冒頭に登場する二人を見つめる少年は監督そのもなのだから。

 

そうゆう意味では、これはパヴリコフスキ監督のプライベートな映画ともいえるのかもしれない。

 


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