えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

ラ・ジュテ

お題「ゆっくり見たい映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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www.imdb.com

   

 今日のポエム

委ねてはいけない、決めなくては。

 

映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!

 

そして今回のキーワードは

 

反核映画!

 

今回はネタバレなし。でも小難しいよ。

 

いきなり言い訳だが、最近は映画を観ても途中で寝落ちするのが多くなってきた。

 

そこで、今回は穴埋めとしてBD発売の際にブログに書いて途中で止めて塩漬けにした作品を引っ張り出して手直しして出してみました。

 

本作は第三次世界大戦で荒廃した世界で生きるための資源を求め過去や未来へとタイムリープできる男が過去へと行った際、そこには男が子供のころに見覚えがある女性と恋仲になるが……という物語だ。それをモノクロ写真で連続で繋げることでひとつの作品にしてしまった29分の短編映画なのだが、いわゆる娯楽を好む観客よりも玄人好みのところがあって、実制作者等に様々なインスピレーションを与えているらしい。

 

そしてSFではあるが、娯楽ではなくて芸術映画であって、しかもアヴァンギャルドなのは観始めると大人ならすぐに分かる。そんな作品だ。

 

個人としてのい出を語ると、そんなアヴァンギャルド芸術な作品を基にして撮ったのがテリー・ギリアム監督『12モンキーズ』(1995) と知って、後追いの形で本作を最初に観た感想は「手塚治虫が短編漫画で描きそうな話」だった。この種の円環構成はSFものではありがちだし、ある種の品の良さは分るが、そのドラマが何なのかがピンとこなかった。観る前はそのアイディアと構成からポエム的な雰囲気をもつ作品だろうと予想していたのに、実際に表れたのは芸術でアヴァンギャルドなので、当時子供だった自分は、咄嗟にそこに意味を見出そうとして困惑したのだろう。

 

それから、ずっと後になって本作の監督だったクリス・マルケルがフランスの哲学者であり、小説家でもある実存主義ジャン=ポール・サルトルの元で哲学を学んでいたことを知ると、どうやら本作が実存主義アンガージュマンを描いているらしいのは薄らぼんやりながら分かった。-- アンガージュマンとは<参加>を意味する。

 

それ以前の哲学は人間の存在を理性から分析・洞察する物であったが、実存主義は、人間そのものを科学・宗教・コミュニティからのあらゆる束縛を無視して実体として存在しているのを真として、各個人にある主体を思考のテコに自己疎外(超簡単には孤独)を自覚して自身を解放(何事にもとらわれない自由)をするために思索する哲学だ。

 

ちなみに、実在主義を題材にした映画もあるのか?といえばある。その嚆矢は、黒澤明の『羅生門』(1950) であり、イングマール・ベルイマンの『第七の封印』(1957) がそれになる。実存主義の雰囲気を感じるにはこの二作は最適だ。(画像はIMDb)

 

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羅生門

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第七の封印

しかし、現実には生きているかぎり人間はいつも何かの束縛を受けて主体を制限されている。そこで、サルトルが唱えたアンガージュマンとは、これまた超雑に言えば「個人自らが何かの束縛を責任をもって選択することで自己の主体を表明する」という逆説めいた考えだ。その内容のミソは「流されるまま」ではなくて「自らが選ぶ」。

 

本作は、そのアンガージュマンをやっている。「流されるまま」は時を旅する男(主人公) だろうし、その男が「自らが選ぶ」のは、もちろん女のことだ。(画像はIMDb)

 

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ラ・ジュテ

何故なら、このモーションがない、スナップ写真で構成された本作で、唯一、モーションをするのは女だけだからだ。だから、男が自己の主体を証明するためにアンガージュマンをしたのは女ということになる。

 

でも、それに何の意味が?と問われると、自分にもそれを答えることはできない。それでも、また薄らぼんやりとした考えを披露するなら、どうやら核兵器廃絶運動、つまりは反核映画らしい。

 

本作が公開されたあたりはアメリカとソ連(現ロシア)が直接戦争はしないまでも緊迫した状態の、いわゆる冷戦の真っただ中であり、そして核兵器開発の競争で核爆発実験が盛んに行われた時期でもある。しかも本作が公開された1962年の10月に南米のキューバソ連のミサイルが配備されそうになってアメリカとソ連が全面戦争一歩手前までいったキューバ危機が起こっているのだ。つまり人類滅亡までとはいかなくても文明が崩壊する恐れが、当時の人々には現在の自分等よりも実感としてあったに違いない。少なくとも本作マルケル監督にはそれがあった。そうでなければ第三次世界大戦という舞台を<選ぶ>はずがないからだ。だから本作は反核映画だ。

 

そんな面倒なことをせずに、直接的に反核を訴えればいいじゃないか!と誰もが思うだろうが、それは理性で訴える行為であり実存主義に反する。なので、こんな形となった。

 

これが、本作に対する自分の見立てだ。

 

もっとも、薄らぼんやりなので、自分もこれに確信している訳ではない。

 

でも、たまにはこんなのも良いだろうと思って書いてみた。

 

DVDで鑑賞。

 


Chris Marker, La Jetee, 1962

  

 

ラ・ジュテ デジタル修復版 [Blu-ray]

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  • 発売日: 2017/12/08
  • メディア: Blu-ray
 

  

 

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