ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
人類とロボットが共存する巨大都市メトロポリス──その繁栄は、高度に発達した科学文明を享受する地上都市と、取り残され貧困にあえぐ地下都市から成り立っていた。やがて、この都市に生きる人間とロボット、そして地上都市と地下世界との間に一触即発の対立が始まる。その激しい混乱の中、生まれた人造人間ティマ。ロボットと人類の、そしてメトロポリスそのものの運命が自分に託されていることを、彼女はまだ知らない……。
映画.COMより引用
りんたろう監督
今でこそ映画でCG -- 本来なら3DCGIと表記すべきなのだが、ここでは分かりやすくCGで表記する -- 当たり前になったが、1980年代以前にはそんな映像技術は存在しなくて、『2001年宇宙の旅』(1968)や『スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望』(1977)に描かれたCGも手書きで作られたもので、いわば疑似CGというべきものだった。-- ちなみにCGが映画に使われたのは『めまい』(1958)からだが、ここでは自分等がイメージする質感を持ったものではないため今回は割愛する。
CGが映画に使われたのは本格的に導入されたのはやはり『トロン』(1982)に -- 追記をするなら仮想世界ではなく実景にCGを入れ込んだ『スター・ファイター』(1984)もそれにあたる -- なるだろう。発表当時は映画番組だけではなく報道番組でも取り上げられていたくらいなのだから。
そして邦画ではじめてCGを取り入れたのは、実写ではなく、アニメだった。1983年の『ゴルゴ13』がそれになるが、CGの出来上がりだけで見るならば質感はまだまだで劇画調のキャラクターデザインと違和感があり過ぎた。(画像は『ゴルゴ13』)
そして、1984年の『SF新世紀レンズマン』も(画像は『レンズマン』)
この時期のCG導入は、「新しいことをやってみよう」であり、つまりは客寄せのための見世物の要素が強かった。それがCGで手書きアニメの感触を違和感なく出せるようになるには1991年の『美女と野獣』まで待たなければならなかったが、日本では1998年のテレビアニメ『ロスト・ユニバース』からメカにCGを使いはじめたところから「メカはCG」の流れができるようになって作画とケレン味の部分でのCGとの作業の分担化が進むが、そこに登場したのはこの『メトロポリス』(2001)になるのだ。
今作について書いてみようと思ったのは、この作品が海外では高い評価を受けているにも関わらず日本のアニメファンの間では語られていないギャップが動機にもなっているのだが、実は今作の魅力は手書きの部分とCGとは情感の部分で固く結び合っていて、それがないと、この作品での感動が成立しえないつくりにもなっているからだ。
手書きに寄せるのでもなく、見世物としてのケレン味でもなく、まさに手書きとCGとの融合美と称すべきモノがそこにはある。そうゆう意味では唯一無二ともいえるだろう。
もちろん手書きもフルアニメーションといっても良いべき枚数を使っているし、その動画も細かく作画されている。そしてCGも背景だけに使われているだけではなく、ちゃんと動く。クライマックスでのブラックミュージックの大御所レイ・チャールズの「I Can't Stop Loving You(愛さずにはいられない)」の歌にのって繰り広げられるスペクタクルは「感嘆」の一言につきるくらいだ。
こうゆうアニメが企画・制作できたのは原作が手塚治虫だからでもあるが、監督がりん・たろうであることも大きいと思われる。
りん監督作品の特徴を一言で表すなら「面白い画が出来ればそれでよし!」だ。1983年の『幻魔大戦』では大友克洋のキャラクターデザインと超能力の表現にオーラを使ったり、1985年の『カムイの剣』では宇崎竜童の楽曲に乗せて繰り広げられたアクションとかは、物語やメッセージよりも「画が面白い!」から作られた。といってもよい。りん監督のモチベーションはそこにあるのだろう。(画像は『幻魔大戦』と『カムイの剣』)
もっとも、その反面、りん監督作品は物語とドラマがちょっと分かりにくいところがあるのも難点だ。今作でいえば、1927年にフリッツ・ラングが監督した『メトロポリス』がベースにあるので、知らなくてもそれなりにサラリとは観れても、やはり知らなければ深くには楽しめないので、ドラマとしての感動は弱く、キャラクターを含めデザインがレトロ調で、今のアニメファンが好む絵柄でもないのでキャラ人気もとれなさそうなので、好意的な評価(一般的な)でも「何だかスゲーの観た」くらいにしかとどまらないだろう。少なくともファミリー向けのアニメにはなってはいないのは確かだ。
しかし、「何を伝えたい」かよりも「面白い画を魅せたい」と考えている、りん監督だからこそ、『メトロポリス』は出来上がったといってもよい。そして、りん監督の感性と当時の技術的な水準がドンピシャでマッチした。まさしく時代の運に恵まれたアニメ映画だったともいえるだろう。