ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
そして男は花道を去る。
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして、今回は
そして、今回のキーワードは。
ケジメの映画!
今回はネタバレがスレスレかな?
『ラスト・ショーティスト』は名作どころか今や伝説の作品だ。伝説というのは、この老いたガンマンの最後を描いた物語の主演が西部劇の大スタージョン・ウェインであり、その彼も劇中の主人公と同じようにガンで亡くなったからでもある。 そして脇を抑えるのが、同世代の俳優ジェームズ・ステュアートやローレン・バコールなのだ。どうしたって「最後」を連想してしまう。-- 念押ししとくと、ウェインがガンを完治して今作の撮影を行って後に再発癌で亡くなっている。だから、この辺りは単なる偶然にすぎない。
さらに、舞台となる年代が1901年だ。その3年後に日本はロシアと戦争を起す日露戦争で坂の上の雲を目指して駆け上がっている最中、つまり近代化の真っ只中の状況なのである。そしてアメリカではかつてのフロンティアはすでに消滅している。つまり西部開拓時代は終焉しているのだ。
さらに、さらに、映画史的にはウェインの師匠にあたる映画監督ジョン・フォードも1956年の『捜索者』以降から「見た目は粗野で乱暴だが、心根は優しい男達」という、フォードらしい荒くれ者たちから背を向け、古いロマンシズムを抜いた物語を撮り始める。その時点で映画スター、ジョン・ウェインの時代は終わって徐々にフェードアウトしてもよかったはずだったのだが、ウェインにはもうひとり盟友というべき映画監督ハワード・ホークスがいた。彼もまた古いロマンチシズムの強烈な信奉者だったが、腕の良い監督だったために人気を保ち続けていることができた。
しかし、現実としてその反動も大きかった。1961年ベトナム戦争へのアメリカの介入という現実が古いロマンチストであるウェインを時代遅れの道化にさせた。そのときには盟友のホークスは映画を撮る体力はすでになく、ウェインの態度は当時リベラルと左派に批判される。
さらに、さらに、またさらに、今作の監督はドン・シーゲルなのだ。シーゲルといえば『ダーティハリー』のラストシーンで警察官バッジを投げ捨てることで荒くれ者たちが己の力争うより法律で物事を収める時代になった男達(ガンマン)の終わりを描いた男なのだ。(画像は『ダーティハリー』)
そんな彼がジョン・ウェインを撮るのだ。
そんなシーゲルがやったのはウェインにケジメをつけさせてやることだった。つまり『ダーティハリー』でやったことをこの映画でもやっているのだ。
だから、クライマックスまでの展開も因縁の対決というよりも引退試合のための花道を作ってやったみたいな側面が大きい。すべてはケジメを付け損ねた男のためにお膳立てを整えたところがある。『ラスト・ショーティスト』とはつまるところそんな映画だ。
個人的な感想を吐きだすのなら、若い頃レンタルビデオではじめて観た時は、良い映画なのは理解できたが、これが名作と評価されているのには正直ピンとこなかった。しかし、月日を経た今、TSUTAYAの「発掘良品」として復活したのを機に観直してみようと考えたのは、これが名作となっているのは、いわゆる「映画的記憶」とやらの蓄積が根底にあるらしいのははじめて観た頃から察したので、今観たら別の感動もあるだろうかとも……。
結論から云えば、大感動した。とまではいかなかった。簡単にまとめてしまうと「普通」なのだ。しかし、一か所だけグっとくるところもあった。それは主人公 J・B・ブックスを演じているウェインがクライマックスで床に倒れてしまうところだ。おそらくそこに自分の中の『駅馬車』のあのシーンを擦過したから。(画像はiMDB)
やはり伝説というのは伊達ではなかったのだ。
DVDで鑑賞。