ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
王と石と砂と
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして、キーワードは。
マリアージュ!
今回はネタバレアリの解説モード
本作は興行成績が悪かったので、当時のヒットメーカーだったハワード・ホークスにとっては黒歴史であるのだが、それは、華やかなセレブ・スターの不在とホークスらしさが露骨に現れているモノでもあるので、逆に言えば、彼の特徴を語る際とても分かりやすい作品でもある。
物語は古代エジプト時代。クフ王はエジプト民の死生観に従い来世の栄光を得るために宝物殿と共に自身の墓であるピラミッドの建設をはじめる。一番の問題点である盗掘を防ぐために、解決法を持っている敵国の技術者だった男に仲間の奴隷開放を条件に引き受けさせてそれをはじめるが。完成までは長きに渡るものとなる。その長きに、王は隣国キプロスの王女ネリファを側室に迎えるが、ネリファはクフ王の宝物と権力を手に入れるために策謀を張り巡らす。という流れになっている。
個人としての思い出を話せば、本作に関しては昔に一回観ただけだが、その時から映画ファンからは高い評価を受けているのは知っていたし、また、扱われている砂という条件次第で固体にも液体にも変わる粉体という特殊な物体を取り扱っているので、通俗科学書で粉体を語る際に必ず引用される作品でもあったので。(これに比べられるのはクローンを扱った『ブラジルから来た少年』(1987)くらいだろうか?)だから、いつの間にかにそんな「観た気分」になっているので懐かしい感はしない。
そのせいなのか、確かに面白いのだけども、ホークスの作品としては……の形容詞になってしまうという、微妙みたいなヤツになる。
また、これもまた巨匠クラスともなると毎度同じ文言になるのだが、やはりホークス作品は三分の一も観ていないのは確かだし、今回はアンチョコも無しなので、当たって砕けろ!方式なのだ。
さて、その当たって砕けろ方式!でホークス監督作について語ると、彼は映画的巧者である事であり数々の表現の発明をしているところか。
例えば、ラブコメディ『赤ちゃん教育』(1938)などで使われた、あの独特な口調、スクリューボール・コメディとも呼ばれている会話劇は、その後の後続作品に多大な影響を与えてアチラコチラに使われている。そんな中の変わり種的なものを上げれば、やはり誰もが覚えている作品だとリチャード・ドナー監督『リーサル・ウェポン』(1987)だろうか。
『リーサル・ウェポン』の見所はバイオレンスアクションとホームドラマの融合という本来なら結びつかない題材をあの独特な会話でソレをやってのけているが、その元はどう見たってスクリューボール・コメディのソレなのだから。
また、西部劇『リオ・ブラボー』(1959)でのクライマックスでのダイナマイトドッカーンはジョン・カーペンター『要塞警察』(1967)のクライマックスの爆発に使われていて、それは後のアクション映画の定番となっている。
等など、ホークスの発明は後の映画作品に重要な礎となっているのは間違いない。
そのハワード・ホークスの映画巧者ぶりの元とは何なのかと言えば、それはもう簡単に言ってしまえば、組み合わせの妙が物凄く巧い!言うしかない。それはまるで、料理とワインの組み合わせとか、素材とソースとの組み合わせとかで語られるフランス料理でのマリアージュの様なモノと言っても良いのだが、もっとも自分がフランス料理を食した時期なんか人生においてちょっとの瞬間しか無いので、すっごく簡単かつ卑近な例を出してしまうと、苺大福だ!苺大福は美味しい!
つまりは、何かしらを組み合わせで、観る者の興味&耳目&満足を集める事にかけて天才というべき手腕を持っていると言える。先に上げた作品になぞらえるなら『赤ちゃん教育』なら、ラブコメに豹。『リオ・ブラボー』ならジョン・ウェインにディーン・マーティン -- 彼は当時はアクション畑ではなくコメディ畑の役者だった -- の組み合わせの妙味で構成してゆく手腕を持っている。そして、それを決して悟らせないのがホークスだ。
まさにスクリューボールの技巧を持っていると言える(それっぽいコトを言ってみたかっただけです)
そんなホークス作品の特徴から見れば、本作は史劇という題材を扱っている。
そして史劇と云えば、誰もが考えるクライマックスとは大人数を使った戦争シーンか、または特撮を使った大破壊シーンのどちらかで史劇らしいスペクタクルを心に刻むのだが、本作はそのどちらでもないのが、そしてそれが当時の興行成績の失敗と、今でも通好みのファンから語り継がれている魅力でもあるのだ。
本作のスペクタクルは、ズバリ砂と石!
ピラミッドに積み重ねあっている、あの重い石が砂によって動く。それだけでスペクタクルを表現しているのだ。
つまり、冒頭からの大群衆と後半の石と砂は本作では同じスペクタクルの役割りになっているのだ。これが組み合わせだ。
あと、それを融合させる、さらなる工夫、繋ぎの部分であるドラマは、シェイクスピアが書きそうなモノになっている。-- 案外お手本にしたのは『タイタス・アンドロカス』ではないのかと、自分は邪推している。
それらが本作におけるマリアージュとなって提供される。
でも、スクリューボールのキレがチョイと弱い。それを簡単にまとめると当時どころか現在でも、そのアイディアが斬新過ぎて感動するよりも関心&感服が勝ってしまう。
しかし、決して失敗作てもないし、ましてや駄作でもない。ただマニア向け通好みのファンなだけであって、大衆向けではないということ。
だから、これを観ても面白くなくても落胆することはない。むしろこれでホークス作品の神髄がハッキリクッキリと見える出来になっているからだ。
DVDで鑑賞。