ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
マーティとドクのドタバタ時間旅行。
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして、今回は
そして、今回のキーワードは。
BTTFが嫌いです!
今回はネタバレはなしかな?
今回はBTTFこと『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を『1』、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』を『2』、『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』を『3』と略称します。
まず『1』を面白いとかつまらないとかとではなく嫌いと宣言したのは、ハッキリ言って私怨だ。それ以上のモノはない。
とはいえ、そんな自分も当初はそれほど嫌ってはいなかった。簡単に云えばドタバタバカギャグ映画として自分は今作を愉しんでいたのだ。最近の映画なら『翔んで埼玉』の愉しみ方と同じなのだ。
ところが、自分以外は『1』をくだらないバカギャグ映画ではなくて感動コメディ映画として受け取っているらしく、個人的な思い出話をすれば、映画とは関係がない一般人との飲み会などで、その面白さについて盛り上がったときに、『1』のくだらなさを激しく笑ってみせたら、周りから一斉に冷たい視線と、自分の態度を遠回しにやんわりと自分に批判してきた体験があるからだ。-- 実は、この状況は前にも体験した事があって、学生の時にマンガ『うる星やつら』の初劇場版『うる星やつら オンリー・ユー』の事について語り合ったとき、クライマックスが映画『卒業 (1967)』のパロディでコント番組のように大笑いしたのを喋ったら、周りのアニメファンから「あの感動的なシーンを笑ったのか!」と激怒された経験があるから。
だって、ロバート・ゼメキス(監督)とボブ・ゲイル(脚本)は『ユーズド・カー』のコンビだぜ。こんなのギャグに決まっているだろうが!
『抱きしめたい』は観てないけどな!(どさくさ)
感動的コメディとバカギャグは笑いでみれば近いようにみえるが、かなり遠い感動だ。自分からみれば、例えれば映画『裸の銃を持つ男』を感動的コメディと主張しているのとまったく同じにしか見えないのだ。なのに自分以外の人が『1』を感動的コメディとしてみている現実に、あの時から凄い違和感があったし、それ以後に何度か同じ体験をしてしまったがために、それが拗れに拗れて今では『1』は嫌いになってしまった。
しかも、これを感動的コメディだとするとドラマの視点から『1』は大きなキズがある。サスペンスとしての主軸は両親が結ばれないと、その存在が消えてしまうマーティなのだが、成長という視点からみれば、ドラマの主人公はマーティの父であるジョージになっているので実質的な主人公はジョージなってしまうのだ。
だから、『1』で成長するのはジョージだけでマーティは成長していないのだ。ドラマが進行して主人公が最初と最後まで変わらない成長しないのに感動なんてどうみてもおかしい!
これがバカギャグなら、感情は笑いとして昇華されて「チャンチャン」も鳴って収まるのだが、自分以外の多くはこれを「感動」として受け取っているらしいのだ。どうみても作り手はギャグでやっているにもかかわらずにもだ。
どうして作り手がそう考えているのか分かるのかと云えば、ズバリ続編である『2』が、『1』の感動への意趣返しになっているからだ。早い話が『1』での感動ポイントを笑いにすることで『1』の感動を笑いに変えている。とみるしかないからだ。
しかも『2』は『1』では抑え気味だった毒々しい笑いさえちゃんとある。(画像はimdb)
何というこんなディストピアは嫌だ!
自分は『2』が好きだ!『1』よりも好きだ!!
そして、『2』は『3』を通してドラマの主人公がちゃんとマーティになっている。彼が『2』から『3』へと進行してゆくうちに成長してゆく、だから『1』のようにドラマがブレていない。-- もしかして公開当時にも、自分の様な批判があったのかもしれない。(そりゃ、そーだ)
しかも、とどめにはSF映画好きには堪らないスチームパンクぽいガジェットが登場して有終の美で終わりを締めるのが(≧∇≦)b、とてもGOOD!(画像はimdb)
だから、自分にとってのBBTFとは2>3>----→1になる。もちろん、これは少数派中の少数派だろうが良いのだ。イイのだ!
たとえ皆が分かってくれなくても、ゼメキスとゲイルの2人だけは自分を理解してくれているのだから。
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