ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
私たちは誰もが明日への主人公。
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして、今回は
そして、今回のキーワードは。
未来のために楔をうて!
今回はネタバレはスレスレ。
今作、『ストーリー・』結論から云ってしまうと、感心はしたけども感動はしなかった。
その理由は簡単だ。今作の主役とは、もちろん、ここに登場しているマーチ家の四姉妹なのは当然として、もう一人主役がいて、それは、この映画を観たあなたなのだ。
そして、さらに残酷な事を付け加えると、観客でも、誰でもというわけではなくて、コレを観て本当に感動した人だけが、この映画の主役なのだ。
つまり、感動しなかった者は、主役では無いという事でもある。
自分も感動しなかったから、同士!と呼ばせて下さい!!
さて、冗談は終わって、本題に入って、ちょっとだけ真面目になると今作はさり気なくトリッキーなのだが、それを読み解けば、その全体像がみえてくる。
今作はオルコットの『若草物語』と『続・若草物語』が題材となっているのだが、それは時系列ではなく、シャッフルされて表れる。一応混乱しないように、画のルックが……
若草物語は暖色系。
続・若草物語は寒色系。
これをもう少し分析してみると……
暖色系は美しい思い出。
寒色系は日々の現実。
になる。
それが、交互に描かれてゆくのだが、最終的に暖色系と寒色系を重ねたルックで物語は終わる。しかし、そのあたりで原作には登場しないオリジナルエピソードが描かれる。そして、それが今作で一番にやりたかった事なのだというのがみえてくる。
著作権の放棄云々のシーンだ。世間が望む結婚話を書くことを条件ジョーこと実は原作者のオルコットが〇〇の引き上げと著作権を自らで守ろうと宣言するシーンだ。そのことで彼女が守ろうとしたのは何なのか?ハッキリ云ってしまえばそれは主体性だ。
ここでいう主体性とは文字通り「自分の意思を尊重して判断する」だ。寒色系で描かれる『続・若草物語』の部分ではマーチ家四姉妹のうちメグとベスは成長して主体性をもった人格として描かれ、はた目からは危うげなエイミーも最終的には成長して主体性を獲得した人格で描かれるが、意外にも成長がなく主体性がない人格として描かれるのは四姉妹のうちで一番ありそうなジョーなのだ。ヒント:手紙。
成長がない感動なんて本来ならおかしい。しかし今作ではそれが、オリジナルエピソードの部分で巧みにごまかされているので、ちょっとみただけでは気が付かないつくりになっている。だから、この部分は脚本の不備でなければ意図として受け取るしかない。つまり、ガーウッグ監督が、この物語をどのように解釈しているのかだ。まず、これ(続・若草)を「主体性の芽生え」を描いた物語としてみたのだ。
主体性とは何物にも依存しない自立心には必要不可欠なものであり、それはリベラリズムの原点であり、中心でもある。もちろんフェニミズムにとってもだ。
原作者のルイーザ・メイ・オルコットは奴隷廃止論者でフェミニストでもあった。そんな彼女が伝統的な雰囲気が濃厚な18世紀で大衆に直接的な「主体性の芽生え」を書くのは困難なはずだろうし、大衆がそんな説教臭い物語を好んで読むはずもない。だから、原作はあのラストで終わらせた。
そこにオルコットが何を込めてたのかをガーウッグ監督はこう読み解き、そして、著作権を手放さなかった事実を分析して、未来の女性たちのために精神的な布石を打ったと考えた。この物語を読んだ多くの人々が、将来自分の意見を持つ人になりますように。と、この物語をそう解釈したのだ。
冒頭の「悩みが多いから、私は楽しい物語を書く」はそうゆう意味も含む。
だから、この物語の主役はこれを観て感動したあなたでもあるのだ。
劇場で鑑賞。
LITTLE WOMEN - Official Trailer (HD)