えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

イニシェリン島の精霊

お題「ゆっくり見たい映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。

 

ポスター画像

 

ストーリー

1923年、アイルランドの小さな孤島イニシェリン島。住民全員が顔見知りのこの島で暮らすパードリックは、長年の友人コルムから絶縁を言い渡されてしまう。理由もわからないまま、妹や風変わりな隣人の力を借りて事態を解決しようとするが、コルムは頑なに彼を拒絶。ついには、これ以上関わろうとするなら自分の指を切り落とすと宣言する。

スタッフ

監督マーティン・マクドナー
製作グレアム・ブロードベント ピーター・チャーニン マーティン・マクドナー
脚本マーティン・マクドナー
撮影ベン・デイビス
美術マーク・ティルデスリー
衣装イマー・ニー・バルドウニグ
編集ミッケル・E・G・ニルソン
音楽カーター・バーウェル

2022年製作/114分/PG12/イギリス
原題:The Banshees of Inisherin

映画.comより引用

 

今回はネタバレスレスレの解説モード

 

注意:今回はできる限り核心部分を避けるつもりですが、純粋に作品を楽しみたい方には読まないでおくことを勧めます。

 

ツライ!とてもツライ。

 

その部分は後にして、本作は様々な解釈ができる作品だが、自分の結論から言っちまえば、本作は宗教を根底にした対立を実存主義を視点から見たドラマだっちゅう事。

 

実存主義をざっくりと説明すれば、近代哲学の重要な概念であり、その概略は合理性・実証性を重視して、なので宗教(オカルトも含む)にも頼らず、こともあろうか、同じ学問にあるアリストテレスから生まれた形而上学をも批判しかねない考え方。キルケゴールニーチェヤスパースハイデッガーサルトル等々、細かい部分で解釈は違うが、そんなところ。

 

もっと砕けてしまえば、日常の風習・慣習の中にただなんとなく生きゆくのではなく、自身の中に何かを取り込んで主体的にすごしてゆく生き方。それが実存主義

 

本作のアレヤコレヤはその視点にそって描かれている。

 

自分とマクドナーとのつきあいは『セブン・サイコパス』(2012) からだが、そこからずっとそんな感じ。

 

でも、それらを知らなくて本作だけでもコルムともう一人が島の風習・慣習から離れた生き方をしようとしている描写から推測は簡単にできる。そしてそこから、これまた島の風習・慣習にドップリと浸かった生き方をしてきたパードリックがそこを切り離されたら「何も無い自分」に気がついてアレヤコレで苦悶しながらも最後にコルムに対して「憎しみ」という感情を持つ展開を実存主義の視点で描くドラマになる。

 

え、あれで⁉とか返す者もいるだろうが、ソーナノ

 

どうして、そんな断言ができるのかといえば、本作はマクナドーの前作『スリー・ビルボード』(2017) とドラマの段取りが同じだからだ。あの作品もどちらにも肩入れしていない実存主義の視点で描いていたからだ。『スリー・』にあった独特なクールさは実存主義のクールさであるのだから。

 

もうチョイと付け加えるなら、本作は『スリー・ビルボード』の設定を裏を返して使っているからだ。特にパードリックの設定はミルドレッドを裏返している。

 

スリー・ビルボード(映画.comより)

身内去られた(夫、妹) → 大切な存在を殺されて孤独になった(娘、ロバ) → 憎しみが(無くなる、生まれる)。

 

まんまやん!

 

あと、火事の中に(ディクソン、コルム)や良い警官、悪い警官もそうで、案の定に、すべてが裏返してになっている。あの本土からのドーン、ドーン、ドーンも『スリー・』の三つの看板と同じ役割として機能している。

 

まさに裏スリー・ビルボード(言いたかっだけです)

 

でも、それで結局は何をやりたかったのかは自分としては見きれなかった。一般的な解釈は1923年という時代に鑑みてイギリスから自治領として独立したグループと完全な分離独立を望んだグループとのアイルランドにおける内紛を本作では暗に示している……らしいのは、コルムには懺悔という描写で神父(イギリス自治領)をあてて、対するパードリックには古くからの土着文化 -- 早い話はあの地域につきもののケルト文化 -- にある日本で言うイタコにあたる島の長老マーコ―ミック夫人(完全分離独立)をあてることで「神父(キリスト・イギリス自治領派)VSマーコーミック夫人(ケルト文化・完全分離独立派)」の線を浮き彫りにして、それをコルムとパードリックのミニマムな対立に当てはめることで、アイルランド内紛をキリスト(イギリス自治領派)にもケルト文化(完全分離独立派)のどちらにも肩入れしない中立な視点、つまり『スリー・』と同じ実存主義の視点からソレらを示したた。……のだろうが、そのあたりはピンぼけ気味で自信がない。

 

ツライ……。(伏線回収)

 

なので、自分はただ、舞台となった風景の見事なカメラワークと主演のコリン・ファレルの太眉毛による表情をただ眺めて楽しむだけになる。

 

画像8画像2画像4

イニシェリン島の精霊(画像は映画.com)

相変わらず落ちが酷い。

 

-- あ、ちょっとだけ付け加えると。コルム突然の心変わりもキリストというか宗教の視点で説明はできる。だって宗教には神から与えられた天の啓示、天啓があるから。天啓を与えられた人間は、それを境に人が変わるってエピソードはみんなも聞いたことがあるでしょ。そうゆうもん。

 

劇場で鑑賞。

 

 

 

 

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