ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
母と兄(フィン・ウォルフハード)と共に田舎に引っ越してきたフィービー(マッケナ・グレイス)は、祖父が遺(のこ)した古い家で暮らし始めるが、街ではおよそ30年にわたり原因不明の地震が続いていた。ある日、フィービーは床下で不思議な装置を見つけ、さらに祖父の遺品を探るうちにゴーストを捕獲するための装置「プロトンパック」を発見。その後、彼女は祖父がかつてゴーストでいっぱいのニューヨークを救った「ゴーストバスターズ」の一員だったことを知るが、街はさらなる異変に見舞われる。
シネマトゥデイより引用
今回はネタバレスレスレの解説モード
注意:今回は核心的なネタバレは避けていますが、純粋に楽しみたい方には読まない事をオススメします。また、本作とは別に1984年公開の『ゴーストバスターズ』をアイバン版と呼称して、2016年公開の『ゴーストバスターズ』をフェイグ版と呼称します。
こいつはズルイやPART2!
しかも、またもやSONY。
さて、今回は妄想という邪推が炸裂する事になるのだが、そのために本作へと語る前に存在するフェイグ版についてちょっとだけ語らればならない。
2016年にリブートされたフェイグ版はメインの4人を女性にしてヒロイン枠を男性にするという配役をしていた。つまり男女のステレオタイプ的な役割を逆にした攻めたキャラ配置を使ったのでネットを中心にバッシングを受けてしてしまい、かつ、ここが大きな要因だが、興行としても失敗してしまった経緯がある。
個人的にはケビンは好きなキャラだったんですけどね……。
あとフェイグ版は作品単体とみてもアイバン版よりも作品の出来はかなり良い。それも返って仇になった。(画像はIMDb)
アイバン版は、ハッキリと言ってしまえばお笑いが主のバカが本質であり、そして全体として出来はあまりよろくしない。簡単に言ってしまえば「ユルイ」のだ。
それが今なお語り継がれる人気作になったのは、俳優陣のキャラ造形とデジタル以前の特殊効果から生まれた味のあるゴーストたちのアンサンブルが上手く作品にハマったことが大なのだが、やはり当時のアメリカの社会状況が根底にある。本作でもちょいと説明があったとおりレーガン政権下で社会が停滞から活力をもちはじめた時流に乗った形で公開されたからだ。
端的に言ってしまえば「時代の波に乗れた」作品なのだ。
そして、波に乗れたがこそ、愛された作品でもある。
もちろん、今日ではレーガンの政策は批判されているし、自分もいくつかに対しては否定的な意見をもってはいるが、それは別にしてゴーストバスターズについてのみ語れば、その当時の風潮を考慮しなければ、あの人気を語るのは難しい。
結果としてフェイグ版はそんなファンからもそっぽ向かれた形となったなったのだが、それでは、あのユルさと当時の風潮を今の世情で再現できるのかと言えば、そんな事は不可能に決まっている。
そして、本作を撮ったジェイソン・ライトマンはフェイグ版(一億四千万ドル)よりも半分(推定:7千5百万ドル)の製作費 -- ちなみに今年日本公開イーストウッドの『クライ・マッチョ』の製作費は3千3百ドル -- とどう見たって仕上がりの基準は予測できるし、ドラマ重視の静かな感じが持ち味に対してバカギャグであるライバン版とは違うセンスなので、どうしたって勝ち目が薄い。
なので、ジェイソンは本作で自分よりのドラマにして、あのズルい技を繰り出した。
そう、本作はリブートではなくリスタート。
そしてアイバン版の葬式。
今日のポエム
ゴーストバスターズの賑やかなお葬式
そうしたのは本作で正統という担保をへて、そこから新たなゴーストバスターズを展開させるために必要だったからだ。そうでなかったらあのエンドロールはない。
そして、それがSONYの目論見だったのは想像に難くない。
ぶっちゃけ、スターウォーズ続三部作と一緒。
それではお前はどう見たのかと言えば、普通。
大感動したわけでも激怒したわけでもなく、まぁ普通。
フランチャンズ大作に見せかけてはいるが、本作はウェルメイド(風)な小品。
(画像は映画.com)
だから、ソコソコ楽しめればそれでいい。
でも、圧倒的不利からここまで持ち直したジェイソンの手腕は評価しても良いかな。おそらくあのズルいが無くてもそれなりに面白くなってはいるから。
劇場で鑑賞。