えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

小説 吉田学校

お題「ゆっくり見たい映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

ポスター画像

 

昭和二三年、GHQ民政局次長チャールズ・ケージスは新内閣を野党第一党民主自由党を中心とした連立内閣とすることを要望し、総理大臣には民自党幹事長・山崎猛が望ましいと伝えた。しかし、党長老・松野鶴平の強引な奇策、吉田の側近・林譲治の必死の巻きかえし、さらに党総務会における一年生議員・田中角栄の大胆な発言などによって形勢は逆転し、一〇月一五日第二次吉田内閣が成立した。吉田は、みずからの勢力を拡大するため議会の解散をはかり、翌二四年選挙において民自党は圧勝、この時以来吉田学校と呼ばれるようになる吉田派は大量の新議員を誕生させる。

映画.comより引用

 

今回はネタバレなしの解説モード

 

新春一発目がこれかよ!

 

……ゴメン(セルフツッコミ謝り)

 

個人的な話でちょ~恐縮だが、去年の見納めが『日本の首領 三部作』だったので、それ系統じゃないけどもそれ風なヤツが観たくなって、観直しはじめたつもりだったんだけども……。

 

これ、前半しか観てないぞ。自分……

 

に気がついたから。どうやら前半だけ観て全部観た感情になっていたとしか。

 

なので、「ゴメンな」の意味もこめて今回は語ってみたい。

 

さて、本作(1983年日本公開)は政治評論家の戸川猪佐武(とがわ いさむ)が書いた小説を映画化した作品だが、原作は当時のオジサン、オジイチャンらの愛読書でもある。とにかう人気があった。

 

どれほどあったかというと、さいとうたかをが劇画にしたくらいに。

 


画像はネットから引っ張ってきた。

 

それを映画化したのが、『太陽を盗んだ男』や『がんばれダブチくん!』を作った山本又一朗の映画制作会社フィルムリンクインターナショナル。

 

物語は二部構成で、前半で戦後の混乱の中で講和を模索する吉田等をヤリ、後半では吉田の宿敵三木武吉と彼が党首(総理)として推す鳩山一郎との権力闘争をヤルのである。

 

どうやら自分は、その講和条約のところしか観ていなかったぽい。そのあたりがどうしても思い出せないからだ。

 

さて、個人的な記憶の欠落については一旦置いといて、作品内について語ると、その前半は当時として珍しくモノクロで撮影されている。

 

小説 吉田学校


撮影が「自然」の絵大好き、木村大作なのにさ。

 

八甲田山(画像はimdb)

おそらくは占領下の日本のいき苦しい雰囲気をだすために前半はそうゆう画づくりにしたのだろうとは思ってます。

 

そして、後半の講和条約締結後からはじまる政敵三木武吉との戦いから木村お得意のカラーになる。

 

小説 吉田学校


自分、多分、講和で物語が終わったと勘違いして止めたんだろうなぁ。
(遠い目)

 

そしてノリにのった木村は国会議事堂内であるはずのない風を吹かせている。

 

小説 吉田学校

多分、三木の執念を描写するためにあり得ないことをやったのだろう。

 

なので、本作はここからが面白かったりするのだが、あの当時これを愉しむには若すぎたのだろう。(さらに遠い目)

 

あと、見所としては配役の妙も上手くいっている。森繁久彌吉田茂若山富三郎三木武吉 -- 似てないぞ。の気持ちもわかるが、あの雰囲気を出せるのは若山しか当時はいない -- は言うまでもなく、竹脇無我佐藤栄作西郷輝彦田中角栄に充てたのが功を奏しているのは確かだろう。

 

本作を撮ったのは『日本沈没』や『八甲田山』の森谷司郎だが、この画づくりと配役を組めたことで仕事のほとんどは終わっていると感じているのは自分だけではないだろう。

 

ただ、個人的な推察が込みにはなるが、今の若者たちには戦後史に対する背景を知らないと吉田茂という政治家に勘違いをおこすかもしれない。本作では吉田は終始軍隊の復活に対しては否定的だが、史実ではそうでもなく、戦前には開戦阻止、開戦中には停戦交渉を工作していたがために軍に嫌われていたこともあって、自身の対抗勢力にななり得るかもしれない大日本帝国残存者の復活を恐れていたところがあるし、彼の求める軍隊とはドイツ式ではなくイギリス式だったのもあって、軍隊の復活には否定的であり、彼が単なる平和主義者ではないことは誰もが知っている。そうでなければアメリカよりの講和なぞするはずもない。

 

さらに個人として指摘すると、後半の鳩山一郎等が軍隊を復活させようとするのは政策としては正しい。

 

国家の独立とは主権を維持するためであり、主権を守る具体的な力は現実としては軍(究極には核武装)しか今のところは存在しないからだ。

 

しかし、吉田等は独立を維持する主権の守護を軍ではなく外交に定め、その路線(ドクトリン)が時が流れるにつれ形骸化したのが現在の状況になっている。吉田のは正道ではない、むしろ邪道である。

 

ないのだけども、日本はかつて世界戦争の起こした国のひとつであり、負けた敗戦国でもある。

 

そして、国連設立の際に旧敵国条項として刻まれた国でもある。

 

敵国条項とはざっくり言ってしまえば「第二次世界大戦の敵国だった国に対して安保理にかけずに自由な武力行使が可能である」というもので。1995年、国連総会で該当する項目の削除が決議されてはいるが、それには国連憲章の改正手続きが必要で、そしてそれはまだ実行はされてはいない。ようするにまだ首の皮一枚で存在する。

 

つまりこれは、国連という組織がなくなるか、国連が改革しなければ完全消滅はしないということでもある。

 

そうでなければ、今や打ち捨てられたそれをゾンビのごとく蘇らせる者が現れる可能性も否定できないという現実でもあるのだ。

 

そうゆう視点に立てば、外交を国家の主権の守護として使った吉田路線は現在も継続中なのである。

 

小説 吉田学校

 

CATVで鑑賞

 

 

 

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