ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆修正有]
『メアリと魔女の花』最新予告編
米林宏昌監督『借りぐらしのアリエッティ』で自分が感じの妙な違和感は次作『思い出のマーニー』を観て何となく分かった。監督のまなざしは「小さい」のだと。 『アリエッティ』は滅び行く種族である少女と人間の少年とのめぐり合いを描いた映画だが、監督のまなざしはあきらかに人間の少年である翔にしかない。アリエッティ達には無い。だからこその違和感だったのだと。
『アリエッティ』の翔、『マーニー』の安奈、そして『メアリと魔女の花』のメアリに共通するのは「身体的な引け目をもつ者が不思議な体験をして、前向きになる」だ。つまり観る人をかなり選ぶタイプの映画だ。主人公 、今作だとメアリが最初から好きな人は感情移入もできて、その映画も好きになるが、ならない人にはその魅力が分からない。だから賛否両論になるのも分かる。自分はその「小ささ」を極めた方が米林監督自身の独自スタイルが生まれそうな感じがするが、それがポノックが次世代のジブリに繋がるかはどうかは分からない。
さて本題。ジブリといえば宮崎駿だが、独立独歩の感が強い高畑勲に対して宮崎監督はエンタメらしく多くの人に観てもらうための色々と工夫をしている。早い話が女性層の獲得なのだが、その地味なことが宮崎監督の作品を今の国民的アニメ監督として地位を築いたのではないのか?
多くの人に観てもらうには共感の幅を主人公だけに感じる者だけではなく、それ以外の人にも与えなければいけない、それをやるにはどうしたら良いのか?
その考え(妄想)を基にして、ここではあまり評価がされない脚本家としての宮崎駿に着目して『ルパン三世 カリオストロの城』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』『もののけ姫』を使って書いてみたいと思います。
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