ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
原作宮月新・原作作画神崎裕也の人気コミックを映画化。都会の真ん中で連続で変致死事件が発生。事件の現場には必ず謎の男がいた。その男、宇相吹正(うそぶきただし)は依頼主に濁りの無い怒りがあれば殺人を自ら手を下さずに殺せる能力を持っていた。そんな「不能犯」である宇相吹に振り回されるベテラン捜査官達とそれには何故か影響を受けない女性刑事の多田友子との確執が描かれてゆく。
原作は未読なので、あくまでも映画の感想だが、これは普通の人々が日常では体験できない非日常を体験するドラマだ。誰々かとの駆け引きの面白さよりも誰かが自滅してゆく様を楽しむドラマだ。だから、これはコミックスの『DEATH NOTE』というよりも『笑ゥせぇるすまん』に近い。そして表向きはサスペンススリラーを装ってはいるが、この映画の本質は怪談だ。だから、これはアニメ『地獄少女』でもある。
そして、描かれるのは宇相吹正の「愚かだねぇ、人間は」の呟くとおり、人の愚かさを描いている。その愚かさは様々だ。宇相吹の目の奥のパターンが人によって違うのはそうだろうし、これが、この映画で一番に描きたいところだろう。ここでの宇相吹は簡単にいえば狂言回しでもあり、トリックスターでもある。だから彼にリアリティを求めるのは間違っているともいえる。事実、宇相吹と多田が階段ですれ違うシーンでは、ほんの一瞬だが、宇相吹の姿が「霞んで」見えるのだ。これは彼が超能力みたいな力でそれを行っているのではなく、最初から人間ではないことを示している。そして、最後の女子高生らしい声がそれをちゃんと押さえてもいる。
かたや多田友子は「信念の人」として最後まで描かれる。中盤でそれが揺らぐシーンがあるが、彼女はそれに屈せずに信念を通す。人物造形からしたら、これもリアリティなど無いはずなのだが、演じているのが沢尻エリカなので、その美貌でリアリティの無さをねじ伏せている。
もう少し砕けたように言うと、宇相吹は悪魔で多田は天使なのだ。つまり人をめぐって悪魔と天使がこの地上で戦っているのが、『不能犯』の見所だ。
だから、この感情の浮遊感は当然ともいえるし、逆にいえばこれに納得がいかなければ、これに何の面白さもかんじないの当然だともいえる。
個人的にはこれは、オッサンが楽しむ類のものではなく、十代から二十代が楽しむ映画でもあり、ドラマでもあると思うので、「そこに突っ込んだら負け」感があったのが素直な感想だ。
【予告編#1】不能犯 (2018) - 松坂桃李,沢尻エリカ,新田真剣佑