ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
魔夜峰央の原作による漫画を映画化。現在の日本とは違う別の日本。東京は隆盛を誇り、隣県特に埼玉に対する迫害はひどい有り様だ。そんな状況の中、東京のトップ高校である白鵬堂学院にアメリカ帰りの麻実麗が転校してくる。東京都知事の息子で生徒会長を務める壇ノ浦百美は、それにイラついて麗を蹴落とそうと仕掛けてくる。しかし、麗は難なくそれをかわし続けるが、ある事をきっかけにして百美と麗は愛し合う仲になる。だが、それは禁断の恋と冒険へのはじまりでもあった。
七月隆文の異色恋愛小説を映画にした『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』は傑作になり損ねた作品だ。物語はどうでもいいが、この映画は主人公の独白込みの一人称で進行するからだ。小説ならともかく映像で一人称を貫くのは難しい、もしも最後までそれを通せば傑作になるのだが、『ぼくは明日』は一か所だけ一人称が崩れるシーンがある。最初観た時には「この映画、勝てる勝負を捨てた!」とひとりで憤っていた。
『翔んで埼玉』も、そうゆう映画だ。とはいってもつまらない訳ではない。自分が観た時もほぼ満席で観客が笑い、そして自分も笑った。だから面白い。
だが、傑作じゃない。
これはお笑い映画、ナンセンスギャグ映画だ。しかも、お笑いにも仕掛けがあって最初は原作準拠の自虐、後半からはパロディ、締めは現在を反映した批評的な笑いへとシフトチェンジするのだが、そのお笑いのチェンジへのダイナミズムが断裁されているのだ。小ネタが連発するだけの笑いにしかなっていない。簡単に云えば……
現代パートマジでいらない!
これは云い図ぎでも、少なくとも現代パートは最初(導入)・中盤(転回点)・最後(締め)の三つだけに留めるべきであって、ああも繁盛に入れるべきではない。判りやすさが必要?そんなもの感動(笑い)の敵だ。ゴミ箱にでも放り込め!
しかも、序盤の始まりが、あのお方の登場 → 重々しいナレーションでの説明 → 現代パート → ラジオ番組での伝承ドラマ、つまりやっとここで本編に入る。といった込み入った展開って必要か?笑えないのだけれども。
正直、この映画が面白くなってゆくのはGACKT様が登場してからだ。要するに、GACKT様のためのGACKT様によるGACKT様のためのお笑い映画だ。つまり、もっとGACKT様を信用しろ!
くどいが、それを除けば悪いところがない。小ネタ満載で超楽しい。クライマックスのダンプを使ったカードバトルなんて大爆笑なのに(そのまんまだ)。
武内英樹監督。『テルマエ・ロマエ』や『今夜、ロマンス劇場で』もツメの甘さがあったが今作でもそうなっているのが、ああ惜しい!
そんな感想っでした。