えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』超々ネタバレギリギリでかなり面倒な雑感

お題「最近見た映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略」

 

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2014年に公開された『GODZILLA ゴジラ』の続編であり、キングコングとの闘いとしてマッチングされたモンスターユニバースとしての一篇。ゴジラとMUTOの闘いから5年後。その時に弟を失った未確認生物特務機関「モナーク」に属していたラッセル一家は離散して父マークはアメリカに、母エマと娘マディソンは中国へと住んでいた。母の研究が完成に近づいたときエコテロリストの一団がエマとマディソンを誘拐する。そのことを知らされたマークはモナークの力を借りて二人を探し出そうとするが。

マイケル・ドハティ監督

 

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まさしく神映画だった。(嘘は云ってない)『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』。「人間のドラマが薄い」という批判もあったようだが、ドラマが薄いのではなくて登場人物設定が極端で、展開に唐突感があり過ぎて感情移入がしにくい。しかも、この映画の主演は怪獣で、ほぼ全編で奴らが暴れているだけなのだからドラマも超シンプルだ。要約すると……

 

ギドラ「久しぶりの娑婆(シャバ)だぜ。大暴れしてやるわ!」

ゴジラ「おんどりゃ、よそ者のくせにつけあがるなよ。てめぇは前から気に食わなかったんだ、ぶっ潰してやる!」

ギドラ「ギャハハハッ、返り討ちにしたるわい!」

ドッタンバッタン、ドッタンバッタン、ドッタンバッタン

ラドン「ヒャッハー!俺は自由だ。飛んだる飛んだる~、クルクル~♫」

ドッタンバッタン、ドッタンバッタン、ドッタンバッタン

ラドン「親分と呼ばせてください!」

(以下、省略)

モスラ「あんた、何やってんの。しっかりしなさい!」

芹沢「ゴジラァァァ!ファイトー、イッパーツ!!!」

ドッタンバッタン、ドッタンバッタン、ドッタンバッタン

ラドン「親分と呼ばせてください!!」

 

みたいな(?)ドラマだからだ。実にシンプルだ。

 

だとしたら、この映画にどこに魅力があるのか?と問われれば平成ゴジラシリーズを中心としたゴジラ映画の画としてのブラッシュアップだ。VFXを駆使してその徹底さから生まれたのは、平成ゴジラシリーズのポスターデザインを手がけた生頼範義のイラストを丸ごと再現したような。さらにもっとオーバーに云えばウジェーヌ・ドラクロワの絵画を怪獣で描いたかのようなロマン主義的な感覚がこの映画にはある。

 

つまり、今まで怪獣プロレスとからかわれていた部分が圧倒的な美となって大画面に表れたのだ。興奮しないはずがない!

 

ブラッシュアップは画だけではない。予告にもあったからネタバレにはならないと思うが、アメリカ人俳優にカットを割ることで「GODZILLA」と言わせていたり、楽曲にはファンなら誰もが考えたであろうアイデアをしれっと盛り込んだり、モスラについて回る、ある設定を捻りを加えてみせたりする小技も随所にあるので楽しめる。

 

それは、ゴジラファンの渇望である「こんなゴジラ映画が観たかった!」を完全に満たしている。

 

ようするにドラマではなく「俺ならこんな風にするのに」の感情を満足させしまうのがこの映画だ。完璧に熱烈なファンが撮ったファンの痒い所に手が届くファンのための映画だ。もちろん、先述した画のダイナミックな美しさもあるでファン以外も楽しめる要素も多々ある。ここまではゴジラ映画としてパーフェクトといえる。

 

ここまでは。と書いたが、実はこの映画、ゴジラにとって重要な田中友幸イズムが消滅した。

 

田中友幸イズムとは、ゴジラの生みの親のひとりでありプロデューサーだった田中が考えていた信念だ。「ゴジラとは水爆実験の落とし子」であり、そこから生まれた考えが「どんな最悪の状況になっても自らが核を使わない」である。自然(地球)を破壊する危険な兵器の廃絶(反核の心)を娯楽として訴える。1954年公開のゴジラ以降、頑なにそれを守っていたし、それがあの東宝特撮独自のメカ兵器を生み出した根源でもある。それこそが被爆国である日本が生み出したモンスターの矜持でもあった。それはシン・ゴジラのみならず、エメリッヒのゴジラギャレスのゴジラも含めてギリギリで守られてきたラインだ。それをこの映画は結果としては破った。ゴジラ映画ではじめて核兵器を自ら使用した。そして、一見感動的に見えるソレは被爆国であり反核を訴える国にとっては強烈な形になる。しかも、これに対になるある超兵器もかなり雑な扱われ方なども含めてだ。もちろん東宝は認めたのだろうが、田中が存命ならこの展開は決して許可しなかったはずだ。

 

もちろん、ドハティ監督のゴジラ愛は本物で -- 映画を観れば解る!-- あるのは間違いないし、核物質汚染を環境汚染として統合することで芯は残したのだろうが、その大きな枠に組み込まれたことで反核のメッセージは埋没した結果になった。

 

つまりは、この映画で東宝と日本のゴジラでは亡くなり、レジェンダリーと世界のゴジラへと変化したともいってよい。

 

自分としては存在の前提が「水爆実験の落とし子(怨念)」から「自然(神)そのもの」へと変化したギャレスのゴジラから、そうなるだろうと予想はしていたが、いざそうなってしまうと心中は複雑な感情が渦巻いている。この映画を心から楽しむ反面、「これでいいのか?」と自問する自分もいるのだ。

 

面倒くさい締めでゴメン……。

 

追記:ネタバレになりますので空白の部分は反転してお読み下さい。

ゴジラvsキングギドラDVDオーディオコメンタリーでの大森一樹監督によると当初ゴジラを再び誕生させるのは日本が保有している核兵器としての設定だったが、それに田中は反対したので、あのようになった。ーー それにさらに妙な捻りを加えて、あのシーンはいびつさがより強調されたモノになっている ーー だから許可しなかっただろうの個所は、自分なりに確信があるものとして書いた。

 


Godzilla: King of the Monsters - Final Trailer - Now Playing In Theaters

 

 

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