ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
人生はいつか終わる。されど愛は残る。
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして、今回は
そして、今回のキーワードは。
無口が喋べることがないとか思うなよ!
今回はネタバレスレスレかな。
フランス東南部の田舎町で郵便配達員をしているフェルリナンド・シュヴァルは寡黙なバツイチ男で楽しみといえば、紀行文を読んで配達中に歩きながら妄想することと宛先が分からなくなって廃棄する絵葉書を集めるのが趣味という、はっきり言って不気味!な男だ。同じ町住んでいるフェリシエンヌも「不気味だわ!(超要約)」言っている。(画像は本編映像より)
そんな不気味なシュヴァルに未亡人だが美女フィロメーヌが何故か好意を抱いて結婚するという、「それなんてエロゲ」展開に。-- 余談だが、フィロメーヌは本当に美人だったのかちょっと調べてみたら、どうもそうゆうのではなさそうなので、これは映画のウソだ。ちなみに本物のシュヴァルは頑固オヤジのイメージそのもの -- もちろんこのあたりは、これから起こる事への布石で。この後シュヴァルとフィロメーヌとの間に授かった娘アリスの誕生が彼に秘めている本来の姿を現すことになる。
見た目は頑固過ぎて気味の悪さえ漂わすフェルリナンド・シュヴァルの本当の姿は感受性が豊かで教養(ここでいう教養とは情報を多く持っている意味ではなくて、情報を感受性というフィルターを通して高度な情報処理ができる能力)が高い男だということ。-- 劇中でシュヴァルがサラリと語る歴史的に有名な冤罪ドレフュス事件についての分析と批判からもそれはみてとれる。
つまり、クリエイターとしての資質を充分に備えた人物であったということだ。
そして、ドラマとしてのキモはフィロメーヌとの出会いとアリスの誕生が、頑ななだったシュヴァルの人として当然の感情を露わにしたことであり、それをきっかけとして今作の見所でもある理想宮がシュヴァルという男の内面を描いた姿としてスペクタクルとして表れるところだ。
史実からみれば舞台となった19世紀でも珍しくかつ風代わりな西洋と東洋との奇妙な融合で建築物で唯一の素朴派(美術教育を受けず画家を職業にしていない者が絵画を制作)と評価されている理想宮とそれを建造した主人公のよく判らない信念&感性はハッキリいってラース・フォン・トリアー監督の『ハウス・ジャック・ビルト』のジャックと対して変わらないのだが、実話を元にした今作と追い詰められて適当にやったフィクションであるジャックに比べれば33年かけて理想宮を創り上げたシュヴァルに軍配を上げるに決まっておろうが。
あとトリアー、お前は明らかに『ハウス・ジャック・ビルト』を作るときにコレを絶対に参考にしただろう!(断言!)
話を映画に戻して、また、それが形づくられる過程でフィロメーヌと出会う前のシュヴァルもおそろしく不器用で頑ななだけなのだと分かるのは前婦人の死去で引き離された息子シリルが慕ってくる件で何となく察せられる。普通なら、盗んだバイクで理想宮をブチ壊しても良いくらい恨んでも良いはずなのにだ。
つまり、シュヴァルの理想宮は彼の本来の姿なのだ。そして、見た目が不気味な男の奥深さと大き過ぎる「愛」を自分等観客は見る事になる。
そして締めが、そんなシュヴァルの大きな「愛」と、ある人物がのこした小さな「愛」とが、まさしく巡り合うシーンはホロリとする。愛は愛だからだ。
とまあ、今まで絶賛モード(!?) なのだが、作品としてはフランスの文化的英雄の伝記であり、大人向けの通俗娯楽作であるので、いわゆるベタな演出 -- とはいってもソレはフランス流であり、これを好むのはフランスの大衆とフランス好きだろう -- なので、人によっては拒否を示すかもしれない。
しかし、苦手な実話なのにもかかわらず、これが「ものづくり賛歌」であり、シュヴァルが理想宮を作り始めた年齢が40代からという、自分の狭い心のストライクゾーンにドンピシャだったからにすぎない。
実はこの映画を観たのは3月終わり頃だったが、昨今のコロナ禍で語るきっかけを失って、観直してたとはいえ、ようやっと今頃になって語っているのは、自分が気に入っているしかないからだ。
だって、今年ベストなんだもの!
劇場&VODで鑑賞