ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
神よ我を赦したまえ。
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして今回のキーワードは
宗教劇!
今回は超々ネタバレギリギリかな?
本作の物語は訳ありの警察官が、現場から閑職勤務と同じ緊急通報指令室オペレーターを担当しているうちに、ある誘拐事件に関わる流れだ。
そして海外の批評家&一般から高評価だったが、日本だと批評家は変わらないが一般の批評は並のところに落ち着いている。このバラつきはどうしてなのか?おそらく宣伝とあらすじから「音を頼りに事件を解決する」ミステリーだと予想していたのが外れていたからだろう。
実は、本作のジャンルはミステリーではない、スリラーだ。
また、ある罪人の懺悔を描いたドラマだ。
懺悔の部分はいったん置いといて、本作をミステリーではなくて、スリラーなのは、中盤から謎解きミステリーでは無いと作品自身が宣言しているからだ。
もちろん、前半はオペレーター勤務中、かかって来る通報を適当にこなしたり、同僚からの会話を楽しげにしている描写で嫌々ながらこの仕事をしている主人公を描きながら、突然に飛び込んできた誘拐事件を音を手掛かりにして解決してゆく物語だと誰もが予想するのは当然だ。
しかし、主人公が移動した別室の暗さから「これはミステリーではありません、別の物語です」と映画自ら「画」で宣言される。
そして、ここから始まるのは謎解きでなくて主人公の心の底に潜む「ある感情」からの葛藤で、だから別室の暗さは主人公の闇としての象徴となる。ここから本作は別のベクトルへと展開するのだ。だから、ミステリーではなくてスリラー。
別の側面から見れば、この別室、どうみても懺悔室を意味しているとみるしかない。
懺悔とは自らの罪を告白して悔いを改めて神の許しを得る行為で、どの宗教にもあるが、本作ではキリスト教の方を意識しているのは間違いない。キリスト教を意味する、身の穢れを祓う聖水を意味するモノが画として表れているからだ。(画像はIMDb)
これは動画から切り取ったものだが、本編にも登場する。わざわざアップに撮ってだ。だとしら、後の展開と照らし合わせてアップで撮った意味は聖水でしかない。
なので、本作は誘拐事件の解決ではなく、主人公が犯した罪を認めるドラマなのだ。
ただ、それが日常の宗教的慣習・作法として定着していない日本ではピンとこないので一般の評価が芳しくないだけだ。それだけだ。
それでは、本作の締めはハッピーエンドか、バットエンドか、それとも中間のビターエンドのどちらなのだろうか?本作を憶えている人ならバッドかビターになるだろうが、自分はハッピーだと考えている。
罪を認め悔い改めた主人公は神がいる許へと導かれるからだ。
だから、ハッピーエンド。
劇場&BDで鑑賞。
Den skyldige (2018) Official Trailer