ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
その恐怖は実に品が良い
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして、キーワードは。
今回はネタバレギリギリの超褒めモード。
注意:今回は決定的なネタバレは出来うる限り避けてますが、迷っている方にはともかく、「絶対に観る!」と思っている方にはオススメできません。
今年ベストかも!
感想はコレなんだけれども、記事の後半はズバリではなくて、この微妙な自分の感情を蜿蜒(えんえん)と書くことになる。
本作は単独でも観ても問題はないが、2020年公開の『犬鳴村』の続編に位置するらしい。なぜなら、『犬鳴村』にも冒頭から登場した明菜(本作ではアキナ)も登場していきなりああなるし、『犬鳴村』で霊が見える少年も顔見せ程度のチョットだけもあるからだ、-- それに『犬鳴村』で唯一盛り上がった (←オレ準拠) のチューズドンもちゃんとある -- しかも、『犬鳴村』の展開をほぼ抑えて進行するからだ。
そんでもって、その内容は『犬鳴村』同様、「実在する心霊スポットを題材にした、『村シリーズ』の第二段」。今回は樹海がもたらす負のパワーと、ネットの怖い話で流布されている「コトリバコ」を使っている。
その「コトリバコ」とは、その家にあるだけでその家の者だけではなく、関係者も全部殺すという超チート級の最凶ツール。どうやらネットの某掲示板からはじまったいわゆる都市伝説の類なのだが、その手の知識がまるでないために、ちょっと調べてみたら、ここに書くのを躊躇うくらいの超邪悪な存在。正直、『樹海村』というタイトルよりも『コトリバコ』というタイトルにした方が良かったのではないかと思ったが、すでにそうゆうタイトルの作品は存在していて(自分は未観)、村シリーズとして使ったのだろう。
本作はそこに最初に襲われる夫婦の夫に特別な感情を抱いている、山口まゆ演じる普通人の天沢(姉)と山田杏奈演じる幽霊が見える天沢(妹)の姉妹が絡む流れになっている。
実は自分は本作を観てはじめて前作『犬鳴村』で作り手たちが何をやろうとしていたのを理解した。ホラーで「もののあはれ」をやっている意図だったのだと。
「もののあはれ 」とは江戸時代の国学者、本居宣長が提唱した概念で、その考えの要は「時代の変化の波で形として残らない無常を美しさとして感じる」ところだ。
つまり、「怖さと悲しさの混合」からの儚さとしての美をやろうとしたのだろう。
ただ、『犬鳴村』では、その「怖さと悲しさの混合」を、親切な幽霊さんを登場させる事で犬鳴村の成り立ちを説明をしてしまったのがイタイ失点だった。おかげで美と浄化されるクライマックスがMTV的だと揶揄されてしまったからだ。
ーー 余談だが、『犬鳴村』は部落問題というすごーく語りにくい題材だったので妙に焦点がぼやけていたのに対して本作『樹海村』は口減らしを題材にしているので、その焦点はボケてはいない。
だから、本作では樹海村の成り立ちはサワリ程度に抑えて天沢姉妹の物語に寄せている。もうちょいと付け加えると普通の天沢(姉)と幽霊が見える天沢(妹)とが不仲&不信感が漂う中、「コトリバコ」との呪いを通して和解するウェットなドラマに仕立て上げている。しかも、それをセリフで説明せずに画と描写で示してゆくのだ。その流れは……
① 冒頭で樹海村で動画配信するアキナが何かに襲われる直前に木々を意味ありげにユラユラと揺らす。それは霊が見えない者の視点だ。
↓
② 中盤あたりで、霊を見る事ができる天沢(妹)が寺院に歩きまわる亡霊を見て恐れおののくシーンをやって。
↓
③ クライマックスで霊が見えないはずの天沢(姉)の前に歩きまわる樹海村の亡霊たちが現れる。
つまり、この展開で不信・不仲だった天沢姉妹の葛藤を「霊を見えない見える」を使う事で和解へと導く演出しているのだ。
しかも、シネフィルが金言としている一つ「2回同じシーンが作品に表れていれば、それは3回目に劇的な意味を持つ」も抑えているからでもある。
それは、本作全体が恐怖と情感で固く結びついている証明でもある。
そこだけではなく、恐怖演出の隅々気が利いてて、いつものJホラーにプラスして品の良ささえ感じる。
だが、そのために肝心な恐怖描写のインパクトが弱くなっているところが難といえば難だ。インパクトこそがホラーの醍醐味なのに。
そして、実は自分は品のある作品よりも品の無い作品ほうが好みなので、感情の置き所としては困ってもいる。もっと褒めたいのに躊躇する。
自分は品の無い作品が好きなのに本作には品があるのだ。困る、実に困る!
でも、エンドロールのアレで、その品の良さが若干落ちるのでホッとしているところもある。あのシーンもうちょっと何とかならなかったのだろうか?アレさえ何とか出来ればパーフェクトだったのになぁ。とか思うのだけれども、でも、そのために自分が語りきれる作品になっているのも確かだ。
そんな個人的な感情は一旦置いて。本作は優れた作品であることは間違いない。少なくともルカ・グァダニーノ監督『サスペリア』(2018)を評価して本作を軽く見るのは、その者の目は節穴である。と世間に表明しているのと同じくらいにだ。
少なくとも本作を観もせずに2021年の映画を語ることはできない。絶対に!
劇場で鑑賞。