ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
ブアマンは偉大だな
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして、キーワードは。
S・コネリーはエライ!
今回はネタバレギリギリっとありの解説モード。
注意:今回は核心部分は避けますが、念のためネタバレに抵触しそうな部分は消してあります。読みたい方は白黒反転してお読みください。
まぁ、普通ちゃ普通。
でも、内容については多少の説明は必要だとは思う。
その内容は、ラブラブな男女のカップルが同居のために立寄った不動産会社が進められた分譲住宅〈Yonder (ヨンダ―)〉と物件〈9〉に閉じ込められて、何者か分からない子供を押し付け育てる。という話だ。
そして、ちまたではSFサスペンスとかスリラーとかでジャンル分けされてはいるが、本作は超現実主義・シュルレアリスムに分類されるべき作品になっている。
何で、不条理ではなくて超現実主義なの?と問われれば、不条理とはナンセンスと同じ意味であり、そこには滑稽、可笑しみが含まれている。つまり、笑いが無ければいけないが、本作にはどう見ても笑いの要素は無い。そして超現実主義とは与えられた題材・モチーフに対して分かり易さどころかヒントすらも与えない画(映像)や段取り(プロット)も立てずに表して、そこに哲学的な詩篇を感じさせないといけない。
だから本作は……なのだ……多分。(弱気)
もちろん、超現実主義だと察する箇所はある。例えば舞台となる〈Yonder〉のセットデザインはどう見ても、超現実主義を代表する画家である、ルネ・マグリッドの絵画をお手本にしているフシがあるからであり、また作中に無理矢理に押し付けられた子供が無心に観ているテレビに映っている奇々怪々は模様は超現実主義の手法の分岐にある、顔料をキャンバスに塗るのではなくて垂らす事でランダムに表現しようとする技法、アクション・ペインティングと同じだからだ。
余談だが、あの奇々怪々な模様をフラクタルと理解してはいけない。てーか、じゃねえぞ!大きさは違えども形が似ているフラクタルと形が似ていないランダムは別の概念。
だから、本作も超現実主義、つまりはシュルレアリスム。
だってさぁ。*反転開始
ラブラブカップルに押し付けられた子供は大きくなっても地球侵略をするわけでもなく、カップルにオススメした不動産の男も増殖するとかなく、ただ老衰して死んでしまい、カップルに嫌々に育てられた子供こと男も、次のカモのために、それを引き継ぐのだから、そこのどこに意味があると云うのだ?
だもんなぁ。*反転終了。
だから、考察など意味は無い。むしろ、ロジカルな考察をした時点で自分等の負け!
それが、超現実主義・シュルレアリスムなのだ。そうなのだ。
それでは、この超現実主義ことシュルレアリスムのモチーフは何なのか?と問われと、そこは曖昧蒙昧、曖・昧・Meになるのだが、多分、恐らく、ひょっとしたら「本能」なのだろうとは思う。
だって冒頭から、それを説明してるんだもん!カッコウ!!
つまり繰り返しになるが、それを誰もが簡易・直ぐに分かるような形や流れにせずに、断片だけを揃えてやってみた。みたいな。(弱気)
だから、「本能」。
もちろん、これは自分の見立てであって、これを正しいとか主張するのは、結構に抵抗感があるが、それでも本作が侵略SFではないのが超強い感触だ。
それでは、どうして感想が普通なのかといえば、この感触を前にも味わった事があるから、しかもかなり濃厚に。それはジョン・ブアマン監督『未来惑星ザルドス』(1974)の事なんだけれども。
『ザルドス』の物語はあえて語らない。ただ、この作品には映画ファンの間で観る者それぞれの色々な解釈があって、それで映画のロールシャッハ・テストという立ち位置にあるのは確かであり、そしてコレも、やはり超現実主義であり、自分はそれには「本能」をモチーフにしていると考えているからだ。
それに比べると本作は、収まりが良すぎる。というか、おとなしい。というか、早い話が薄い!
だから、評価が『トワイライト・ゾーン』とか、『世にも奇妙な物語』でやりそうな話だとかに感じてしまうのは当然だろう。
ぶっちゃけ、『ザルドス』でのラストシーンの一分間を本作では98分もかけてやりました。なのだから。
でも、それだけで、ことさらに批判する部分&箇所も無いのだ本作は。
うん、普通だ!(断言)
後はやっぱり、どこか後世に語られるくらいのインパクトがあった方が良かったかも。例えば、ジェシー・アイゼンバーグにこんな格好をさせてみるとか?(画像はIMDb)
ザルドス!
お後がよろしいようで。
劇場で鑑賞。