ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
元アメリカ政府の諜報員だったピーターは、息子ロビンを元同僚のチルドレスに誘拐されてしまう。ロビンは念力を操る事が出来るため、チルドレスはそれを政府の諜報活動に利用しようとしていたのだ。ピーターはシカゴに飛び、精神分析研究所に勤める恋人のヘスターや、同じく念力を持つ少女ジリアンの協力を得て、ロビンを奪還しようと奔走する。一方、チルドレスによって拘束され、アラブ人への憎悪を植え付けられ、その憎悪の力で念力のパワーを増大させられていたロビンは、感情のコントロールを失っていた。
Wikipediaから引用
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
今日のポエム
今回はネタバレ大全開の絶叫解説モード。
本作はジャンルからいえばサイキックスリラーになる。
そして、映画ファンなら名だけは覚えがある、これを撮った映画監督ブライアン・デ・パルマの作品歴でも、評価が真っ二つに分かれている作品でもある。
そのくらいヘンでクセがある。
先にあらすじは出したけれど、物語はこう。
仲の良かった元諜報部員であり父ピーターと超能力者であり息子ロビンは中東へ休暇中、そこにあらわれたテロリストに襲われて引き離されてしまうが、それを仕組んだのは元同僚のチルドレスであり、それでロビンを誘拐されてしまう。
三年後、息子を取り返そうとする手掛かりとしてロビンと同じ超能力者を追い求めていたピーターはついに少女ジリアンを見つけだすが、同時にチルドレスの捜査網に見つかり追い求められるが何とか逃亡する。
ピーターはある施設で看護婦を務めている昔なじみのヘスターという女性と接触、ロビンの手掛かりを得ようとした矢先に、そこにジリアンが入り、そこで彼女はロビンに何があったのかを超能力で知って不安に陥る。ジリアンの存在を知ったピーターはへスターと仕組んでジリアンを施設から連れ出すが、その時にへスターは死んでしまう。
一方、ロビンは三年間チルドレスの支配下に置かれ、アラブ人に父を殺された「怒り」を超能力のキーにして、その増強を高めた結果、自身の感情を制御できない不安定な人格となっていた。ロビンが慕っていた女医リンドストロムが他の男性と語らっていたのを見ただけでメリーゴーランドに乗っていたアラブ人を超能力で殺すほどに。
ある夜。ロビンはリンドストロムと二人っきりなった部屋で、助けにきたピーターとジリアンの存在を感じ、特に同じ能力者であるジリアンを知って、捨てられると勘違いをして発狂して、暴走。リンドストロムを殺してしまう。手に負えなくなったチルドレスは、あえてピーターとロビンを再会させたが、感激のピーターとは裏腹にそこにかつてのロビンの面影は無かった。暴走したロビンとピーターは窓を破り落下しようとするが、寸前でピーターがロビンの手を握り支えるが、すでに父のことなど忘れているロビンは自らそれを振り払い落下して死ぬ。それで絶望したピーターも落ちて死ぬ。
翌朝。目覚めたジリアンは傍にいたチルドレスから自分の下で働くように説得されるが、ジリアンは死ぬ間際のロビンから受けついた「怒り」の能力と自らの能力とを合わせてチルドレスを……
どっかーん!
はい、映画ブロガーらしくストーリー全部書いた。
でも、正直ネタバレしても本作は意味が分からん!
これで何をやろうとしたのが分るのなら、あなたが超能力者だ。断言する!
原作者ジョン・フィリアス自ら脚本を書いた本作は原作のイメージを大事にしているのだろうが、逆にどう見たって映画脚本としては意味不明状態になっている。
だから、コレをみせられたらさすがに。
これはちょっと無理。
で断るか、
書き直ししてくれるのなら、
それで、やっと監督してくれるかもしれないが、本作のデ・パルマはいともあっさりと「イイヨ!」と引き受けちゃった。
その心中は、「やりたい企画を通すためにしぶしぶに引き受けた」とか、だったらまだ分かるが、どうも「何も考えて無かった」フシがある。当時デ・パルマは『キャリー』(1976) の成功で自分の企画は通せなくても選ぶくらいの自由はあったはずなのに。
なのに引き受けちゃったのだから。
では、デ・パルマは本作をどう撮ったのかというと……
サイコスリラーとかけましてヒッチコック作品と解きます。その心は?
と、自分大喜利をはじめてしまった。
余談だが、大喜利とは珍芸って意味な。
それが本作の本質だ!
とはいうものの。細かいものは直感として気がついたのは結構あるのだが、自分も「コレどっかで見たぞ」という感情と「ウソ記憶かも」との感情がせめぎ合い確信が持てない。まさか、いまさらソレだけのためにヒッチコック全作品を観直すなんてやってられるか!状態なので、そんなことよりも、大きなヤツから三つだけ解説をしたい。
まず、メリーゴーランドで死んじゃうアラブ人のシーン。あれは『見知らぬ乗客』(1951) からだ。
二つ目は、これがちょっとややこしい。あの『サイコ』(1960) から。
これは少し解説が必要で、本作で施設にいたロビンが窓から突き落とされる場景が『サイコ』では、マーティン・バルサム演じる探偵が怪しいと睨んだベイツモーテルに入って階段を駆け登っている時に犯人に殺されるシーンをスクリーンプロセスという合成で処理しているのだが、本作でも、階段からスクリーンプロセスという順でそう処理しているからだ。
そして、三つ目。クライマックスの落下しようとするシーン。これは誰もが気がつくだろうが『逃走迷路』(1942) からなのは間違いはない。ピーターが「袖を掴め」とか言っているのだから。
ついでに、付け加えると前半、パンツ姿で追いかけられるピーターが飛び込んだ家屋で、やたらお婆ちゃんとの絡んだ状況がダラダラと続くが、これは『北北西に進路を取れ』(1959) の前半、主人公とその母親との絡みがあるからだ。つまり、その雰囲気の再現。
そうでなければ、あのシーンはすべて無意味で無駄な!
さらについでに、本作ではピーターとロビンとチルドレンが円卓で囲んでいるとカメラがゆっくりとグールグールと回りだすが、これも『北北西に進路を取れ』から。
「無理矢理だな!」とか「そんなモンはお前が勝手に思っていることだろうが!」とかの外野のツッコミはぜーーーんぶ無視。
大喜利だっていってるだろうが!捻りがあるのは当然 !!
とまぁ、斯くの如しヒッチコック作品からのオマージュ、リスペクト、パロディ?どれかは知らないが、とにかく本作には数多くのヒッチコック作品が組み込まれている。おそらく当時デ・パルマはヒッチコックと比べられて評価されていたから、そこに内心頭にきていて「だったらヒッチコックやったるからお前ら読み解いてみろがや!」な程度の気持ちで、この脚本で引き受けて撮ったんじゃないかと考えるくらいにだ。
そしてもちろん、『アンタッチャブル』(1987) での階段ガンファイトや『ミッション・インポッシブル』(1996) でのデータ強奪のわかり易さに比べると難易度が高い。
つまりデ・パルマからの挑戦状なのが本作。
でも、当たり前だが。デ・パルマはヒッチコックそのものではない。同じド変態だが、片や金髪美人を虐めるのを無情の快感としている陽のヒッチコックに対してデ・パルマは不幸せな人物しか描けない哀しみを業としている陰という対照性。
(画像はIMDb)
その差がココに雰囲気として表れている。
だから、やはりヒッチコックの模倣というよりもやはりデ・パルマ作品なのだ。
ハッピーエンドに背を向ける男。それがデ・パルマ。
さて、「何も考えていなかった」男デ・パルマは、その後『虚栄のかがり火』と『ミッション・トゥ・マーズ』でまた何度もやらかすのだが、本作はそのはじまりと言っても良いのだろう。
しかしながら、本作での、そのやらかしが、後のデビット・クローネンバーグ『スキャナーズ』やスティーブン・キング『デッドゾーン』、『ファイヤースターター』などのサイキックスリラー (ホラー) と呼ばれる名作を誕生させたのもまた事実なのだ。
DVDで鑑賞。