えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

未知への飛行

お題「ゆっくり見たい映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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米ソ冷戦時代のアメリカ。カナダ国境に正体不明の飛行物体がオマハの国防司令部のレーダースクリーンに現れた。巡回していたアメリカ空軍のB-58爆撃機の対ソ編隊はソ連領最前線の待機ポイント=フェイル・セイフ地点に向かい、待機旋回を始めた。ほどなく司令部ではレーダーの飛行物体は民間航空機だと判明したが、その間爆撃機編隊はモスクワを核攻撃せよとの暗号指令を受信した。司令部の軍事コンピュータが誤作動を起こしたことによる誤った暗号指令であった。これを知ったアメリカ政府は音声通信で攻撃中止を連絡しようとするが、ソ連側の電波妨害によって通信は途絶しており、編隊は暗号指令を信じてフェイル・セイフ地点を超え、ソ連国境に向かった。

Wikpediaより引用

 

今回はネタバレスレスレの紹介解説モード

 

いきなり愚痴からはじまるが、最近はネットも世間もあの話題ばっかりで、現在、自分の心はナーバス状態。実際に死傷者と甚大な被害にあわれている人々がいながら、さすがに、にわか外交話や軍事評論話をやる気持ちがもてないので、心の均衡を保つために、この数日間は核戦争を題材にした書籍や映画を見まくっていたのだが、そこに本作があまり語られていないのに気がついたので、今回はそれについて書いてみたいと思う。

 

もちろん、面白いからだ。(不謹慎は百も承知)

 

原作はユージン・バーディック&ハーベイ・ウィーラーの『フェイルセーフ』(自分は未読)

 

監督はシドニー・ルメット

 

ja.wikipedia.org

 

映画ファンの間では、ニューヨークを活動の拠点した監督であり、アメリカンニューシネマの一旦を担った監督でもあり、『狼たちの午後』(1975)や『セルピコ』(1973) や『ネットワーク』(1976) 等々の作品から社会派として認められている監督でもあるのだが、自分としてはサスペンス監督のイメージを持っている。

 

でも正直、自分の好みでは無い気がする……ゴメン。

 

でも、でも、『質屋』(1975) と『12人の怒れる男の』(1957) と本作はそれほどの苦手感はない。おそらくはモノクロで画づくりが鋭角的だからなのかも知れない。

 

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未知への飛行

あと本作だと、あきらかに天秤=審判(ジャッジメント) を連想する画とか。

 

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未知への飛行

そんなルメットが撮った低予算の政治スリラーだ。

 

同年公開のピーター・ジョージの小説『破滅への二時間』(自分は未読) の映画化である『博士の異常な愛情(以下略😂)』(1964) と設定が被っていることからの盗作騒ぎや、配給会社が『博士の』と同じだったため、公開を後回しにされたため劇場収入は低かったエピソードなどがあるが、今回は無視!

 

しかし、本作と『博士の』とのあきらかな共通もある。それは本作と『博士の』と土台にあるのは、1962年10月から11月にかけて、ソ連(現:ロシア)がアメリカの喉元に位置するキューバ共和国に核ミサイル基地を建設していることが発覚したことから、米ソ間の緊張が高まり、核戦争寸前まで達した一連の出来事、キューバ危機だ。そこに機械の誤作動が生じたら取り返しのつかないことになるのでは?と誰でも想像するのは容易だろう。

 

実は、すぐには気が付かないが、本作と『博士の』とのもう一つの共通は、当時の核戦略構想のメインの考えである、相互確証破壊(MAD)をモチーフしているということ。

 

相互確証破壊とは、二つの核保有国が相手方から核の先制攻撃を受けたとしても、人口、経済などに被害を与えるだけで、報復としての核戦力は温存できる -- 移動できる潜水艦とか移動式弾道ミサイルとか…… -- という前提で、それが恐怖の均衡をもたらし核抑止を安定化をさせるという考え方だ。二作ともそれをベースにドラマを展開している。

 

ただ、解釈はちがう。『博士の』がそれらを批判的に扱って笑いに転換しているのに対して、本作はそれのテーゼを受け入れて、驚愕な作戦を実行してしまうところだ。

 

核心に迫るネタバレはしないが、ここでは合衆国大統領が破滅を避けるために驚くべき決断をする。学生の頃に観たときは、さすがに意味が飲み込めなかったが、その背後には相互確証破壊があるのは間違いが無い。そうでなければ、ウォルター・マッソー演じるグロテシェル教授の講釈は必要がないからだ。

 

まさに、フェイルセーフ(安全措置)

 

まぁ本作だと、その判断をするのが公平を大事にするリベラルより大統領なのだが、やはりココは、ドラマとしての都合もあるだろ。だってこれがタカ派の大統領だったら、苦悩もせずに核戦争を起こしそうなので、ドラマとしての面白みに欠ける。

 

でも、現在では相互確証破壊を根底にした核抑止論は形骸化しつつある。1980年アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンが戦略防衛構想(SDI)を打ち出して、結果としてはソ連は崩壊して、それに勝ったことになったと思いきや、その後の核拡散の防止に歯止めがきかない世界情勢では核兵器による力の均衡は効力を失いつつあると考えてもよいだろう。

 

とまぁ、今や古臭くなった感がする本作の核抑止論だが、これはまだ良心的(?)な方で、大国の論理で振り回される小国はたまったもんじゃないし、大国になるには、少なくともアメリカと同様の国力を身につけねばならない無茶な現実もある。中国がそれを目指しているのは明白だが、どうなるか……。

 

そんな現実を目にしながらも鬱々悶々とする最近なのである。

 

ボヤキでゴメン。

 

DVDで鑑賞。

 

 

 

 

 

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