ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

映画閑話:宇宙戦争 三種読み直しから気が向いたら、映画と原作を読み比べをしながら語りたいと思う。
ちなみに、トム・クランシー著については原作、ジョン・マクティアナン監督が撮ったのについては映画と表記します。
ソレじゃ早速はじめる。
原作と映画の『レッドオクトバーを追え』を要約してしまえば、ソ連(現:ロシア)が建造した核兵器を搭載した無音推進のタイフーン級の潜水艦とその艦長であるラミウス等がアメリカに亡命するためにCIAジャック・ライアンと接触しようと言ったもの。
無音推進とはどうゆう事かといえば、潜水艦は海中が戦場のため目視なぞできるはずなどなく探知方法は当然に音。その音も潜水艦自ら音を放ってそれを反射してきた何かに探知するアクティブソナーと潜水艦自身から常時発する機械音やスクリュー音を探知するパッシブソナーの2種があるが、後者のパッシブは潜水艦ごとに発する音が違い、それを各国が「音紋」として記録して行動を監視することで行動や戦略を分析することができ、そこに傾注したアメリカはSOSUSという大潜水艦探知網を組んでいる。-- 原作で知りました。
そうした探知法をすり抜けるのが無音推進ということ。
出版された1984年頃、この原作は米日共に話題作として評価された、異例なのは原作が通常ではなく超党派で成立しているアメリカ海軍協会が出版事業としている海軍研究所出版局から出されたからだ。海軍・海戦の歴史(分析)や歴代の海軍軍人の伝記(評伝)などのノンフィクションを出しているところからフィクションとして発表されているのでリアリティについては折り紙付きだった。
-- 余談だが、この出版局からはジョン・ミリアスが撮った『イントルーダー 怒りの翼』(1991)の原作も出ている。
そして、物語的に日本と関係ないと思われがちだが、実は二つの件でガッツリと関わっている。
ひとつ目は、原作のモデルとなった事件が、東西冷戦中の1976年9月に起こったヴィクトル・ベレンコ中尉が操縦するミグ25戦闘機で北海道函館空港に着陸して、亡命を求めたベレンコ中尉亡命事件だからだ。それまでは西側では未知の脅威として認識されていた東側ソ連(現:ロシア)の戦闘機の詳細が知らされた。おそらくクランシーはコレを念頭に創作の構想したとおもわれる。
ふたつ目は、1987年に起こった問題、東芝機械ココム違反事件。これは電気機械メーカーの東芝グループのひとつがココム(対共産圏輸出統制異委員会)の規制に違反した件。何をしたのかと言えば、東芝の子会社が日本の商社とダミー会社に工作機械8台とそれを制御するためのNC(数値)装置とソフトウェアを第三国を通じてソ連に輸出させた。
問題はその工作機械がソ連潜水艦のスクリュー音を減らすための新型羽根製造に使われた事だ。「音紋」が変わってしまえば、長い間収集していたものが使えなくなるどころか安全保障の一大危機でもあるからだ。その問題点を日米国民に直ぐに分からせたのはコノ原作があったればこそ。当時のニュース番組にも取り上げていたし。
と、そこまで日本と関係している。
そんな原作を撮ったのは『プレデター』『ダイ・ハード』で大ヒットを飛ばしていたジョン・マクティアナン。前述の2作からアクションが得意な者と思われがちだが、自分はこの人の本領はスリラーだと思っている。監督デビュー作『ノーマッズ』(1986)や『トーマス・クラウン・アフェアー』(1999)などを観れば分かる。
ぶっちゃけ、ネタバレしているコノ作品を最後まで楽しめているのはマクティアナン監督の手腕といっても良い。
でもユーモアはダメぽいところがある。『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993)とか。
そんなマクティアナン監督がクランシーの原作をどう切り取ったかといえば、ズバリ『プレデター』と『ダイ・ハード』と同じカードのやり取りにおける神経衰弱的展開と同じ。

だから、ソ連レッド・オクトバー艦長ラミウスとアメリカCIAジャック・ライアンの2人だけが切れ者で、後はソ連アメリカ双方は大体が凡人凡俗になっている。
そして2人の行動というカードの出し方でサスペンスが展開する。ラミウス側は原作よりも副長との葛藤シーンを多く描くことで不安を煽るし、ライアン側はデスクワークだと思われていた男が実はヒーローの資質を持っていた流れになる。 -- 早い話が、『ダイ・ハード』のマクレーンと同じで、ぼやきながらも解決へと行動してゆく。
気が利いているのは、原作ではライアンが著述中のハルゼー提督の伝記が映画ではすでに書きあがっていて、ラミウスもそれを読んでいるのだが、評価がライアンと真逆というラミウスとライアンの資質が端的にわかるシーンがあること。
原作では違っていて、早々アメリカ側はライアンの意見を認め対応をやりはじめるのとは対象的ではある。
この違いは原作が潜水艦をリアルに描くため最新情報(当時)をできうるかぎりに載せた、いわゆるテクノスリラーに対して映画はそうゆうのは二つほどに抑えて駆け引きというドラマ中心にしたためだろう。
付け加えるなら、原作が1984出版なら映画は1990年、米ソ雪解けの時期で、いわゆる旬を超えていたので、つまり映画は冷戦秘話を語る体になっている。
先にも言ったが、原作は世界的大ベストセラーなので、内容は大方が知っているとういう分の悪い状況を映画はタイに持ち込んだともいえるし、今観てもチャント楽しめる作品になっている。
‐‐ 余談だが、本作でアメリカがクレムリン中央部に食い込む大物スパイが存在していて、その暗号名が<カーディナル>と呼称されていて、クランシーのファンなら後の小説『クレムリンの枢機卿』を否応なく思い出して「この頃からか」の感慨に耽れます。

(画像はimdbより)

