えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

ノートルダム 炎の大聖堂

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

ポスター画像

 

ストーリー

2019年4月15日、パリのノートルダム大聖堂で火災が発生した。警報器が火災を検知するも大聖堂の関係者たちは誤報だと思い込み、その間にも火は燃え広がっていく。消防隊が到着した頃には大聖堂は激しく炎上し、灰色の噴煙が空高く立ち昇っていた。複雑な通路が入り組む大聖堂内での消火活動は難航し、貴重なキリストの聖遺物は厳重な管理が裏目に出て救出に困難を極める。消防士たちはマクロン大統領の許可を得て、最後の望みをかけた突入作戦を決行する。

スタッフ

監督ジャン=ジャック・アノー
製作ジェローム・セドゥ アルダバン・サファイー
脚本ジャン=ジャック・アノー トーマス・ビデガン
撮影ジャン=マリー・ドルージェ
美術ジャン・ラバッセ
編集レナルド・ベルトラン
音楽サイモン・フラングレン

2021年製作/110分/G/フランス・イタリア合作
原題:Notre-Dame brule

映画.comより引用

 

今回はネタバレなしの解説モード

 

IMAXで観たかったね。

 

感想がそれかい。

 

ハイ!

 

いや、今回は画づくりが本当にIMAXに特化していたのでね。でも、うちの所ではなかったのよIMAX上映は。

 

さて、肝心な内容は2019年4月15日から16日にかけて起こったノートルダム大聖堂大火災の顛末を群像劇としての描いているのだが、ぶっちゃけ主役は映画のためにセットやVFXを駆使してリアルに再現されたノートルダム大聖堂なのは当然。よって最大の見所は大聖堂そのものになっている。

 

だから、普段一般人が見ることのない大聖堂の裏側のアレヤコレヤを垣間見る趣向にもなっている。それくらい今回は空間の狭さ&複雑さを充分に堪能できた。理屈では分かっていたけども、やはり実際に画として見せられると改めためてそう思う。

 

そしてぶっちゃけちゃえば、本作の視点は市民を含むパリという街からの視点になっている。パッとした印象ではドキュメンタリー風だと思われがちだけども、明らかにそこはそうゆう意図がある。

 

本作を撮ったのは『愛人 ラマン』(1992)や『薔薇の名前』(1986)のジャン=ジャック・アノー。作風としては、文章で例えると「形容詞を使わずにできうる限り叙述的にドラマを語る」という感じか。

 

映像のドラマは登場人物等ことキャラの葛藤を観客にそっと伝えるために、あからさまに気がつかない程度にセリフに込めたり、役者に演技指導したり、そんな画づくりをしたりするなどの工夫があるものだが、アノー作品にはそうゆうところが感じられない。なので叙述的。

 

だから人によっては演出が淡泊にみえて評価が低い監督でもあるが、叙述というのは、別の見方をすれば論述的でもあり、知的な雰囲気でもあるので、そうゆう方面が好きな人には好みな作品群として認められているところがある。インテリ向きとまではいかないけど、方向はそんな感じ。

 

ようするに、題材しだいで面白い、面白くない、が決まってしまう監督さんだ。

 

まあ、アノー本人も単純に人間ドラマというよりも、その状況に興味があるらしく、そうゆう意味では人の葛藤を掘り下げない本作の群像劇にはあっていたかな。

 

なのだが、本作ではそこに「祈りの女の子」とか「猫とおばあちゃん」のエピソードとか挿入してくるから、だから最初に自分は「ベタやなー」とか「(アノー)らしくねー!」とか「もしかして丸くなったか?」などとチョイ感じていたが、物語が進むにつれ、そこに実際に撮影されたスマホ動画を挿入されてゆくので、どうやら、これはパリという街の視点で撮られているらしいのに気がついた。

 

でもまぁ、もしかして大作だから、大衆性もちょっとは意識していたかもだ。普通に観ている我々にはどうでもいい事だけども。(弱気)

 

ノートルダム 炎の大聖堂(画像は映画.com)

ともあれ、大聖堂に対してのアノーのリスペクぶりはハッキリと感じる。

 

それに不謹慎だが、見世物としては充分に愉しめる。

 

そこで、最初に戻る。

 

劇場で鑑賞。

 

 

 

 

 

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