ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
ストーリー
大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子どもたちが平穏な日常を送っている。そんなある日、学校でケンカが起きる。それはよくある子ども同士のケンカのように見えたが、当人たちの主張は食い違い、それが次第に社会やメディアをも巻き込んだ大事へと発展していく。そしてある嵐の朝、子どもたちがこつ然と姿を消してしまう。
スタッフ
監督 是枝裕和
脚本 坂元裕二
製作 市川南 依田巽 大多亮 潮田一 是枝裕和
エグゼクティブプロデューサー 臼井央
企画・プロデュース 川村元気 山田兼司
プロデューサー 伴瀬萌 伊藤太一 田口聖
ラインプロデューサー 渡辺栄二
撮影 近藤龍人
照明 尾下栄治
録音 冨田和彦
音響効果 岡瀬晶彦
美術 三ツ松けいこ2023年製作/125分/G/日本
映画.comより引用
ネタバレスレスレのしんみり解決モード。
注意:今回は作品自体の確信に迫る内容は避けていますが、純粋に楽しみたい方には読まないことをお勧めいたします。
本作は、是枝裕和監督作品であると共に『東京ラブストーリー』や『花束みたいな恋をした』を書いた著名脚本家の坂元裕二と、音楽に先頃お亡くなりになった坂本龍一の楽曲を使い、さらにプロデューサーに『君の名は。』の川村元気が加わっている売れ線作品であり、そこにさらに今年のカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した超話題作だ。
そんな作品の感想はふたつ「感想が書きにくい作品だな」と「監督らしくねぇ」。
こんな感じ。
先に「感想が書きにくい」からはじめると、もうアチラコチラで評されてはいるが、本作は具体的な犯人捜しをしてはいけないことになっている。本作の「犯人」とは、自分たちに知らず知らず染み込んでいる偏見とそれが集約された何かが抑圧として機能しているからだ。だからココに何かを象徴する記号のようなモノは存在しない。
これは何々のメタファー。とか言ったら負け。
これはもちろん、モヤモヤする何かを記号という代物にすることで誰もががわかりやすくなってしまって、自分を客観視してしまうことで免罪符を与えてしまうので、それを排除することで日常で染み込んでいる偏見を観客こと自分等に自覚させることが目的なのは明白だ。
気が付かなかったら負け。そんな感覚。
なので今回はこのあたりの解説はしない。
そして次。「(是枝)監督らしくね」だが、コノ作品。ちまたの評価では章ごとに視点が変わる羅生門メソッドなるモノを物語の展開に取り入れている……らしい。
もちろん、羅生門とは第12回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞した黒澤明監督作品のことだ。
クロサワとは…(以下省略)
そのためか(?)、自分が予想していた以上に是枝監督は本作でクロサワをしている。
まず、のっけから炎上でクロサワ。
そして、電車が……
-- 脚本の坂元裕二は『銀河鉄道の夜』とは言っているのだけれどもね。
もちろん、『羅生門』メソッド(?)なので、羅生門なクロサワもちゃんとある。
とまぁ、何から何までクロサワ。
今までの作品群で見たことがない画の連続。
コレが是枝スペクタクルかーー!(言ってみただけです)
「らしくねぇー……」と感じるのは当然だろ。
とはいえ、これは最初から意図したというよりも、三部作構成と坂元脚本と是枝演出との化学融合みたいな何かが起こってそーなったと考えるしかない。何かを伝えたい脚本家と、どう撮りたい監督とのせめぎ合いが本作にはスリリングな形で表れている……としか。
小津安二郎監督と宮川一夫キャメラマンがタッグを組んだ大映映画『浮草』(1959)みたいなモンか。(弱気)
ちなみに、いい添えておくと。本作は羅生門メソッドというよりも、最後に真相らきしモノが見えてくる点においてミステリーの叙述トリック、もっと具体的に言っちまえば爽快感を得ないイヤミスに近いのだが、近いだけでそのものではない。
まぁ、是枝監督がミステリーを撮れないのは『三度目の殺人』(2017)でみんな知っているから。
でも、是枝作品の絆を結ぶ特徴である「同じ風景を誰と共有するか」。それは意外な人物となる。
そんな「監督らしくね」作品こと本作は超話題作であると同時に是枝監督作品の異色作にもなっている。
最後に本作を羅生門よりもイヤミスだと結論づけたが、ラストシーンは羅生門。というよりも、クロサワお得意の一点突破力で突き抜けることで締めている。感動的なシーンではあるが、数年後「ナニコレ?」な感情におさまることを自分としては祈っている。おそらく脚本も監督もそれを狙っているのだろうから。
劇場で鑑賞。