えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

ストーリー

天下統一を目指す織田信長は、毛利軍、武田軍、上杉軍、京都の寺社勢力と激しい攻防を繰り広げていた。そんな中、信長の家臣・荒木村重が謀反を起こして姿を消す。信長は明智光秀羽柴秀吉ら家臣たちを集め、自身の跡目相続を餌に村重の捜索命令を下す。秀吉は弟・秀長や軍師・黒田官兵衛らとともに策を練り、元忍の芸人・曽呂利新左衛門に村重を探すよう指示。実は秀吉はこの騒動に乗じて信長と光秀を陥れ、自ら天下を獲ろうと狙っていた。

スタッフ

監督・原作・脚本:北野武
製作:夏野剛
プロデューサー:福島聡
ラインプロデューサー:宿崎恵造
撮影監督:浜田毅
照明:高屋齋
録音:高野泰雄
美術:瀬下幸治
装飾:島村篤史
衣装デザイナー:黒澤和子
特殊メイク・特殊造形スーパーバイザー:江川悦子
サウンドデザイナー:柴崎憲治
VFXスーパーバイザー:小坂一順
編集:北野武 太田義則
音楽:岩代太郎
助監督:足立公良
殺陣師:二家本辰己
スクリプター:吉田久美子
キャスティング:椛澤節子
製作担当:根津文紀 村松大輔
能楽監修:観世清和

2023年製作/131分/R15+/日本
配給:東宝KADOKAWA

映画.comより引用

 

今回はネタバレスレスレのチョイ弁護(?)説明&紹介モード

 

注意:今回は核心に迫る内容には言及していませんが、純粋に楽しみたい方には読まない事をお薦めします。

 

ポスター画像

 

いや~タケちゃんの映画だったね。

 

しかも初期の初期『3-4☓10月』(1990)を思い出しちゃったよ。

 

それは追々語るとして、本作は本能寺の変という史実を題材にした北野監督初の歴史劇であり、予算も15億円も使っているのに「お前らが本能寺(史実)で期待しているものは一切見せねぇ!」なキッパリした態度が映画からビンビンと伝わった。

 

タケちゃん、歴史にロマンは感じていないし、それにロマンを求める輩にも批判&攻撃的。

 

ぶっちゃけ、大河ドラマとその視聴者をバカにしている。

 

しかし、それを正面からぶつけると反発を喰らうのは目に見えている。

 

なので、本作のドラマの形式はバーレスクになっている。

 

バーレスクとは有名な作品や精神をカリカチュア(滑稽・ユーモア・風刺)で描くジャンルのことで、だからどうみたって戦国武将というよりも頭のおかしいオッサンにしか見えない織田信長もアレでいいし、徳川家康のコントのような殺され方の数々のココではまかり通る。

 

大体、予告でこんなの見せられている時点でシリアスなわけないだろが。

 

予告より

ファッキン戦国!が本作のトーン。

 

でも、それだけなら、こんな大きな予算をかけずにもっとこじんまりした感覚で仕上げることもできたはずなのに、何故そうしなかったのか?

 

それには別のファクターがあると自分はみている。ズバリ黒澤明。特に後期の『影武者』(1980)や『乱』(1985)影響が顕著にある。最初は黒澤作品に対する批判かとも思ったが、黒澤はタケちゃんの作品を評価していたし対談とかもしているので、ソレにつばを吐くようなことはしないはずで、ここはやはりタケちゃんなりのリスペクトだと解釈すべきだろう。

 

 

黒澤が戦国の無常観を美で昇華したようにタケちゃんは戦国のそれらを笑いでやった。

 

そんなあたりだろう。

 

じゃあ、それが上手くいっているのかといえば、自分としては、ウーンなの。

 

タケちゃん作品群といえば、物語の展開で感動をつくるというよりも、どちらかというとショットの積み重ねで感動をつくってきた人。

 

ここでいう、ショットとはワンカットのことではなく、シーンになる前の要素である小さいカットとカットの繋ぎのことで、自分は説明がめんどくさいのでシークエンスとも言ってはいるが、どちらにしろシーンとしての意味が繋がる一歩手前で感動をつくってゆくやり方だ。

 

シーンで繋がるとそれは展開であり、物語を語ることになるが、ショットだと物語を語るまでには至らない。

 

これに近い感覚を音楽で例えるならタケちゃんの映画はミニマルミュージック。

 

ミニマルミュージックというのは現代音楽の形式のひとつで音の動きを最小限に抑えてパターン化された音型を反復させて演奏する方法で、通常の音楽でいうところの盛り上がりとかサビとかのクライマックスはない。だから「終わった」という感覚もない。同じ音型をただ繰り返すだけ。

 

ゲームでよく使われる楽曲の大半はソレ。

 

でも繰り返すことで聴いている者の感情を揺さぶってしまうのが最大の特徴。

 

映画ファンが知っているミニマルミュージックといえば久石譲となりのトトロ』における『風の通り道』やマイケル・ナイナン『ピアノレッスン』における『ザ・ピアノ』だろう。環境音楽としても永遠に聴いていられるのが特徴。

 

ザックリというとそんな感じ。ふんわりポアポアした説明なのは認める。

 

まぁ、とりあえずタケちゃんの作品でいうと、物語で感動するというよりもカットが印象に残ることが多いのはコレで理解できるだろう。

 

でも、本作ではそれが上手くいってない気が自分には感じた。

 

しかし、それは自分は全作品を観ているほどの熱心なファンではないためとバーレスクという形式に慣れていないせいなのか、それともタケちゃんがはじめて史実を基にした -- 架空ならすでに『座頭市』(2003)を撮っている -- 作品を手掛けたせいなのかの見極めがいまだについていない。

 

それを含めての『3-4☓10月』なんだよね。コレを観たときの「ナニコレ?」感覚がよみがえったというか……。

 

『3-4☓10月』以降、タケちゃんは独自のスタイルを試行錯誤&洗練させてゆき世界的な監督として広く知られていったったが、今回はそれをほとんど使っていないから。

 

フワフワポアポアな締めだが正直な気持ちはそんなところ。

 

劇場で鑑賞。

 

 

 

 

 

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