えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

晩酌で観た『ウェスタン』

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

ストーリー

大陸横断鉄道の敷設により新たな文明の波が押し寄せていた西部開拓期を舞台に、女性主人公の目を通して、移り変わる時代とともに滅びゆくガンマンたちの落日を描いた。ニューオーリンズから西部に嫁いできた元高級娼婦のジルは、何者かに家族全員を殺され、広大な荒地の相続人となる。そして、莫大な価値を秘めたその土地の利権をめぐり、殺し屋や強盗団、謎のガンマンらが繰り広げる争いに巻き込まれていく。

スタッフ

監督:セルジオ・レオーネ
製作:フルビオ・モルセラ
製作総指揮:ビノ・チコーナ
原案:セルジオ・レオーネ ダリオ・アルジェント ベルナルド・ベルトルッチ
脚本:セルジオ・レオーネ セルジオ・ドナティ
撮影:トニーノ・デリ・コリ
美術・衣装:カルロ・シーミ
編集:ニーノ・バラーリ
音楽:エンニオ・モリコーネ

1968年製作/165分/イタリア・アメリカ合作
原題:C'era una volta il West

映画.comより引用

 

今回はネタバレなしの解説モード

 

 

コノ作品はイタリアの映画監督であり、当時イタリア製西部劇ことマカロニ・ウエスタンで名を知られていたセルジオ・レオーネ禁酒法時代アメリカを舞台にした本来の企画をハリウッドメジャースタジオに持っていったが、スタジオ側は彼にマカロニ・ウエスタンな西部劇を撮らせようとするので当初は気乗りはしなかったものの、ユニバーサルがレオーネが敬愛する西部劇の名優ヘンリー・フォンダが出演してくれることと潤沢な撮影資金を提供してきたので引き受けた経緯がある。

 

しかし、公開直後のアメリカでの興行収入と評価は散々な結果に終わった。

 

終わったが、それ以外の国々では大ヒット。評価もクリエイター達を中心にして徐々に上がっていった。

 

まさしく、ファンに愛された作品

 

なので、今さらだが、現在ではコノ作品は皆が褒め称えるのは当たり前の状況だし、自分もそれにハーイハーイ!と賛同するのはやぶさかではないが、今回はどうしてファンがコノ作品に魅力を感じたのかを自分の解釈で書き残しておきたい。

 

実は、はじめて観た若い時は「長げぇ」と感じてしまっていたのもまた確か。この面白さが、何となく感じるようになったのは青年期も終わり頃の2回目。

 

そして、今回は3回目。今回のバージョンは165分。

 

実は初観のときに「長げぇ」以外にも感じたモノがあって、それは……

 

ウェスタ

「小汚ねぇ」。

 

これは今回も変わらない。

 

だってさ、この「小汚ねぇ」が冒頭から10分くらいも続くのだぜ。

 

しかし、コレは伏線。というよりも、詩で例えるならば韻文であり、当然のごとくに韻を踏んでいる。

 

何故なら、コノ作品では主役のブロンソンと敵役のフォンダがサッパリしているので、分かりやすい、強い奴だと記号化されている。

 

ウェスタ

ブロンソンにトレードマークの髭がねぇ!

 

サッパリしている奴が強い、汚い奴は弱い世界觀。これがコノ作品。

 

その中間をゆくのがロバーツ。綺麗になろうとするのだけれども、やはりひとりではモジャ髭を剃るのは無理なので、そこは残したためにアナイな事になってしまう。まぁ、安全カミソリなんてのが無い時代だからねぇ。

 

ウェスタ

そして、コノ作品にはもうひとつ韻を踏んでいる箇所がある。もちろんブロンソンが奏でるハーモニカだ。主役のネームもハーモニカ。

 

ウェスタ

ここでのハーモニカメロディは死のイメージなのはスグに直感できるし、クライマックスでソコもきちんと描かれている。

 

そこに、様々なハリウッド西部劇へのオマージュ&リスペクトが挟み込まれているのは、すでに分析されていて映画好きなら誰もが知っている。この部分は言わば自然の風景を謳う情景詩というべきモノ。

 

‐‐ でも、ちょいと付け加えるなら、クロサワとはモメたのでアレだけどもラスト辺りには『七人の侍』(1954)もチョビッと入っているだろうな。

 

その情景詩に、先の二つの韻が上手く配置されていてビッシ!と決まるがコノ作品。

 

これが、コノ作品の根本であり、魅力の正体。

 

それならば、コノ作品がどうして叙事詩ではないかと言うと物語を語っていないから。

 

物語を語っていないのでユーモアもサスペンスもコノ作品には無い。

 

もちろん、叙事詩でもない。コノ作品の登場人物について感情的に描いていないから。

 

だから物語どころかドラマも無い。

 

いや、クライマックスからラストシーンにかけてはドラマらしきモノはあるので、自分達はここから放たれた香りらしきものを冒頭の「小汚ねぇ」から嗅いでいる事になる。

 

これがコノ作品を貫くものであり、魅力そのものなのだ。

 

それに比べると、後に本当に撮りたかった『ワンス・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)になると、やっぱりちょっとセンチメンタルな雰囲気になっている。

 

‐‐ まぁ、あくまでも『…ウエスタン』に比べてで、現在の作品の過剰さよりは、まったく無い。

 

そして、それこそがファンに愛された根幹なのは確信している。

 

でも……それはレオーネの力量だけとは考えていない。もちろん評価はされたのかもしれないが、それは映画をアートの視点から視る超コアな好事家のみに興味を持たれる立場にはなっていたかもしれない。テレンス・マリックの作品群のように。

 

コノ作品が娯楽なり得てファンに愛されている存在になったのはエンニオ・モリコーネの楽曲があったればこそ。これもソウ確信している。

 

モリコーネとレオーネ、個人としては幼馴染の古い付き合いであり、仕事では盟友であった二人が同時代に居合わせた奇蹟が二人を国際的な評価として認められた、まさに一心同体。

 


なので、自分の中ではレオーネ監督作品といカテゴリは無い。代わりにレオーネ&モリコーネ作品は存在する。

 

少なくとも、モリコーネの楽曲がなければコノ作品は前衛的な印象が強かったかもしれない。

 

レオーネが撮ったドラマらしいからの香りらしいフィルムを大衆的な感動として締めているのはモリコーネが書いた楽曲だ。

 

DVDで鑑賞。

 

 

 

 

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