ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
ストーリー
昭和31年。鬼太郎の父であるかつての目玉おやじは、行方不明の妻を捜して哭倉村へやって来る。その村は、日本の政財界を裏で牛耳る龍賀一族が支配していた。血液銀行に勤める水木は、一族の当主の死の弔いを建前に密命を背負って村を訪れ、鬼太郎の父と出会う。当主の後継をめぐって醜い争いが繰り広げられる中、村の神社で一族の者が惨殺される事件が発生。それは恐ろしい怪奇の連鎖の始まりだった。スタッフ
監督:古賀豪
原作:水木しげる
脚本:吉野弘幸
キャラクターデザイン:谷田部透湖
美術監督:市岡茉衣
色彩設計:横山さよ子
撮影監督:石山智之
製作担当:澤守洸 堀越圭文2023年製作/104分/PG12/日本
配給:東映映画.comより引用
ネタバレスレスレの誉め解説モード。
注意:今回は核心に迫る内容には言及していませんが、純粋に楽しみたい方には読まない事をお薦めします。
今回はサクっとやって終わらせたい。
結論からいえば……
泣いた。
全オレが泣いた!
とはいえ、序盤で乗りそこねたのも確か。それは水木が調べている村の秘密である血液製剤Mを覚醒剤と誤認してしまったから。本作の時代は昭和31年(1956)だが、覚醒剤って昭和26年(1951)に覚醒剤取締法が制定されているので、「設定バグってるな」と思ったが、バグっているのはオレの方だったという……。
でもまぁ、成分が分からない血液製剤が国に認可されるのも変な話だけどもね。
それは途中で気がついて脳内修正はしたが、その辺りどうも失敗。
余談だが、本作に登場する龍賀一族と龍賀製薬はどう見ても市川崑監督作『犬神家の一族』(1976)から設定をもらっているのは間違いないし、市川版での犬神家は麻薬で財を成した事になっているので、そのあたりでオレはバグってしまったらしい。
さらに余談だが、人を興奮させる覚醒剤は日本が誕生の地で、最初は喘息の薬だったが、それが戦争に使われた経緯がある。市川版はおそらくはそれを意図して組み込んでいるのだろう。
あと、それにまつわる評価として現在大ヒット中の『ゴジラ-0.1』の戦後の括りで語りがちだけども本作の時代は昭和31年とは朝鮮戦争による特需をきっかけに日本が高度経済成長に入った時期で「もはや戦後ではない」と経済白書で宣言された年でもあるので、終戦直後を舞台にしたマイナスワンと並べるのは無理筋すぎる&すごい違和感を感じてしまうところがある。
例えば1990年代の就職氷河期と呼ばれている世代に向けて80年代のバブル世代と同一視して「オジサンの時は就職先は選び放題だったんでしょう」とか言おうものならグーパンチされても当たり前のくらいの無理筋&違和感なの。
10年というのはそれ位の感覚の差なのだ。
しかし、それを踏まえるとココのキャラである水木という男が権力にこだわるのかが見えてくるし、本作のメインが、高度経済成長で駆け上がる直前の日本という国を裏側から覗いたブラックノワールであるのも見えてくる。
あ、念の為にそえておくとブラックノワールって某配信ドラマのキャラクターの事じゃないよ。クライム作家ジェイムズ・エルロイか書く様なノワールって事。アッチと違ってコッチはホラー仕立てだけども。
ホラー仕立てといえば、本作はグロ度が高いのでキング風とも言える。もちろんモダンホラーの大作家スティーブン・キングのことだ。
話を戻すと、その成長の裏側によって犠牲にされてきた者達の象徴として現れるのがアイツなのだから……泣くよなぁ、やっぱり。
あと、「とっても良かったが、これはゲゲゲでなくてもよいのではないのか」の考えも観終わってチョイと思ったが、でもやはりコレは現在では鬼太郎でなければ企画が通りそうにもない物語&ドラマでもある。
何か、色々と切ない気分になったよ。
劇場で鑑賞。