ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
最近、韓国映画『シュリ』がデジタルリマスターとしてリバイバル上映されているらしいが、自分は現在自由に行動できる状態ではないので、懐かしのカウチポテト族となって今回は非デジタルリマスター版をながら観しつつ。コノ作品についての思い出話をしてみたい。
公開当時、それなりに自分の映画レーダーでリサーチはしていたので、それまで韓国映画といえばポルノだと思っていたけどそうじゃない『桑の葉』くらいの韓国映画情報しかない体たらくだったのでソノ情報を聞いても過度な期待はしていなかったが、亡くなった弟が「面白い!面白い!」と絶賛していたので上映館へと足を運び鑑賞したのだが……
ウーン、まぁコノ(田中◯栄風)
な感じで、まったくノレなかった。
具体的にはのっけからつまづいた。
その前に内容について語ると、恋人との結婚間近に迫った韓国諜報員の主人公が要人を暗殺する狙撃手を追っているうちに、それが北朝鮮の工作員によるものだと分かり、さらに新型爆弾でテロを国内で起す計画を予測して、それを突き止めようとするが、意外な展開に流れてゆく。
コノ作品は今観直せば現在韓国を牽引するスターとなったソン・ガンホやチェ・ミンシクも出演しているし、SNSのフォロワーに指摘されるまで気がつかなかったがフォン・ジョンミンも端役で出ていた。
初ジョンミンはてっきり『国際市場で逢いましょう』(2014)だと思っていたらすでにココで見ていたのかジョンミン。(ジョンミンが連呼したかっただけです)
それとは別に、コノ作品は後の韓国映画の2台コンセプトとなる「朝鮮半島の歴史と確執」と「ハリウッド的表現」が実装されている。
前者は韓国映画いくつか観れば自ずと理解できるので割愛して後者だけ語れば、早い話、80年代以降のアメリカハリウッド作品の作劇・演出を積極的に取り入れいるところか。もっとわかりやすく言えば、アクションならダイ・ハード風、ロマンスならプリティ・ウーマン風。
それが面々と続き、自国なりの咀嚼と独自展開が今日の韓国ドラマを作ってきた。
もっとも、それだけなら日本でもやっているし、中国やインドでもやっている。映画という製品を世間に出すいちばん親しみやすいフォーマットがハリウッドだからだ。
しかし、韓国がソレ等の国々と違うのはそれを表層だけでなく産業として確立、定着させたところにある。いわば韓国映画産業に基盤を作り上げた。
もちろん、ハリウッド的になったおかげで芸術としての個性や独創性は薄まったかもしれないが、その強固な基盤があるからこそ、アートよりのホ・サンスや、ややアート寄りっぽいパク・チャヌクや、アートとエンタメの両方に足を突っ込んでいるポン・ジュノの作品を世に送り出す事ができたともいえる。
そして、コノ作品は映画だけでなく韓国産業復興の狼煙の側面もある。
『パラサイト 半地下の家族』(2019)でも書いたが、1997年から2001年まではアジア通貨危機で韓国は債務不履行に陥り、IMF(国際通貨基金)の管理下におかれ自国の産業の構造改革が行われた。その最中に誕生したリベラルな政権が対策として打ち出されたのがIMFの監視が緩い振興であるソフトウェアで、それが国内需要におけるIT産業であり、輸出にもなり得るコンテンツ産業で映画もそこに含まれた。
だから、コノ作品が自国以外で公開されるのは自分等が考えているよりも重要なのだ。
それでは「偉そうな御託はいいので、お前の気持ちはどうよ?」と問われたら、感傷的過ぎてまったくノレませんでした。……としか。
序盤の終わりごろ、主人公と恋人が愛を確かめ合うシーンがあるが、そこに水槽を入れ込むことで二人のピュアな気持ちを表現していて、それがあまりにも記号的で、「もう、ダメだ」な気分に。
初っ端からノレなかったので、後は定点観測気味な感情に。
「ビル爆破の特撮はダメだな」とか……
スゲエなポカリ◯エット!
とか、まぁ。そんな塩梅に。
ただ、ひとつ強く印象に残ったのは、やはり現在でも懲役制がある国だからか、端役にいたる俳優陣まで銃器を持つ扱う様がしっくりしていた事だ。
なので、「本気になったら、日本どころか香港をも超えるアクション映画が生まれるかもしれない」。
と、そんな漠然とした思いを抱いた。
それが現実となったのは皆が知るとおり。
今回はこれで終了。
監督:カン・ジェギュ
製作:イ・グァナク ピョン・ムリム
脚本:カン・ジェギュ
撮影:キム・ソンボク
編集:パク・コクチ
音楽:イ・ドンジュン
映画.comより