えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

晩酌で観た『ポセイドン・アドベンチャー』

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

ストーリー

81000トンの豪華客船ポセイドン号が、ギリシャに向かうためにニューヨーク港をでたのは12月末だった。船長(レスリー・ニールセン)は最初から船の重心が高いことに気づいていた。バラスト(底荷)をしていないので、船体の上部が重く、大波を喰うと転覆する恐れもあり、スピードを出すことも危険だったが、船主の代表はそれを認めなかった。ポセイドン号が地中海に入ったとき、地震観測所から、クレタ島南西130マイル沖合いで海底地震があったという電報が入った。それから間もなく大津波がおしよせポセイドン号は一瞬にして転覆した。船体の上部が海底に没し、船底が海面に現われたのである。折から新年を祝うパーティが大食堂で催されており、集まった船客たちのほとんどが生命を失うという大惨事だった。

スタッフ

監督ロナルド・ニーム
脚色スターリング・シリファント
原作ポール・ギャリコ
製作アーウィン・アレン
撮影ハロルド・E・スタイン
美術ウィリアム・J・クレバー
音楽ジョン・ウィリアムズ
編集ハロルド・F・クレス
特殊効果L・B・アボット

1972年製作/117分/アメリ
原題:The Poseidon Adventure

映画.comより引用

 

今回はネタバレスレスレの解説モード。

 

いきなり私事だが、自分の生活圏内ふぇ午前十時の映画祭が取りやめになったらしく『タワーリング・インフェルノ』も『地球防衛軍』も観れない状況になってしまったので、「それならひとり『タワーリング・インフェルノ』でもやるか!」と思い立ち『タワー……』を観て後に、ついでにコイツも観ておくかと、思い超ひさしぶり観たのだが、『タワー……』よりもコッチの方に面白味を感じたのでコッチの方にする。

 

さて、コノ作品は70年代映画界にちょっとしたブームとなったディザスターパニックの先駆けとなった作品だ。

 

70年代ディザスターパニックをコンセプトの視点から言えば、当時の旬なスター、二番手スター、当時ですら最早型落ち感があったかつての映画スターを出演させて、そこで「誰が死ぬのか?」を見せ場とするジャンルである。

 

これを定着させたのが、プロデューサーのアーウィン・アレンでそれはここにも↓書いた。

 

eizatuki.hatenablog.com

 

そこと繰り返しになるが、その時すでに先駆け的な作品『大空港』(1970)があったが、これは当時のベストセラー作家だったアーサー・ヘイリーの小説を映画化したもので、ヒットはする保証はされていた。

 


-- 余談だが、アーサー・ヘイリーの小説とは、一般人が知らない業界のアレヤコレヤを綿密な取材によって描写する書き手で、ぶっちゃけ内幕モノで名を馳せた人物。

 

だから、70年代ディザスターパニックとは軸が若干ズレてはいた。それを映画ファンが思い浮かぶ「パニック」にしたのがコノ作品から。プロデューサーのアーウィン・アレンがポール・ギャリコの原作を基に映画化を目論だが当時、契約関係にあった20世紀FOXは予算の出資をしぶったので足りない分はアレンがかき集めてどうにか撮影に至った経緯がある。そしてFOX側はアレンを暴走させないように芸術的でもアクション的な作品よりもドラマ重視の作品を手掛けた監督ロナルド・ニームをあてた。

 

おそらくはニームが予算とスケジュールを守った実績があったからこその採用だっただろうが、これがコノ作品に大きな影響を与えている。

 

それから後に作られたパニック作品群とは若干違うのだ、実は異色作でもある。

 

派手な見せ場は前半に集中する、前半逃げ切りタイプの作品。

 

なので、ドラマは大型客船ポセイドンが転覆してからはじまる。

 

そのドラマの前に、まずは最初の登場人物紹介を各自でして、その中でも強烈な印象を残すジーン・ハックマン演じる牧師の「神は自らを助ける者を助ける」説教というよりも信念に近い考えが述べられて、それが物語の全体を貫く構造になっている。

 

ポセイドン・アドベンチャー

もちろん、最初のうちは牧師の考えは正しいように描かれるが、後半以降にパニック映画の定石どおり進行するにつれて人は死んでゆき、そうはならない展開になってゆく。牧師の信念は打ち砕かれる。

 

ポセイドン・アドベンチャー

コノ作品の神は人を選ばない残酷な存在なのだ。

 

だから、牧師は最後の瞬間に信仰に反した行動を起こし神に対して怒りの言葉を発する。

 

信仰があろうとなかろうと、理不尽な死は訪れる。

 

コノ作品のドラマはそれを描いている。

 

早い話が、この映画は不条理劇なのだ。

 

ポセイドン・アドベンチャー

不条理とは文字どおり「人が世界に意味を見いだすのは無駄な行為」だと言っている

 

少なくともニームは脚本からそれを読み取り、そう演出しているのは確かだ。

 

だが、アレンはそう解釈はしていなかったらしい。何故ならラストシーンで生き残った者達が救助されたヘリから転覆したポセイドンを見るというカットを撮るつもりだった。おそらくは「生き残った」という安堵感を強調したかったに違いないし、事実後のアレンプロデュースの作品はそうゆうところに落しどころを置いているのは確かだ。

 

だが、コノ作品ではそうなっていない。

 

ポセイドン・アドベンチャー

このドラマは船底から這い出た生き残った者達を紙一重でそうなった存在として描かれているが、その感情も安堵感よりも複雑さが表れていて、これが当初のアレンの構想どおりだったのなら、その意味は薄れていた可能性がある。

 

予算不足で取り止めたが、これが予定どおりだったら印象と感想は微妙に変化したのは間違いない。

 

だから、これはこれで結果オーライだった。

 

DVDで鑑賞。

 

 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画備忘録へ
にほんブログ村

映画(全般) ブログランキングへ